ビートルズに「前座」を押し込んだ暴挙と笠置シヅ子さん | あずき年代記

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15年ほどまえ、吉祥寺パルコブックセンターでポール・マッカートニーのロング・インタビューが載った音楽雑誌を立ちよみしていた。


ポール・マッカートニーは、次のように語っていた。


「武道館でコンサートをやったとき、僕らは前座なんかいらないと言ったんだ。お客さんたちは僕らだけ観たいはずだからね。前座にこだわったのは日本サイドだよ」


前座で出たのはドリフターズ、内田裕也といったひとたち。つまり、ナベプロ所属。


当時の日本テレビ音楽班の「班長」は、井原高忠さん。


自身、バンドマンだった井原さんは、寄席みたいな構成に反対したと想像がつく。それを無理押ししたのは、渡辺晋さんだろう。


井原高忠vs渡辺晋の確執は、このあたりから始まったのではないか?


井原高忠さんがどういうひとだったか語れる藝能人は、草笛光子、伊東四朗、美輪明宏、萩本欽一さんらだろう。


日テレ開局70周年ならBSでいいから座談会をすればいいのに…とおもう。


原辰徳さんが監督を退任するらしいが、ビートルズが来日したころ、巨人戦の中継は9時に打ち切っていた。


「スポーツ中継を最後まで放映しないなんて外国じゃありえない」


と憤激していたのは大橋巨泉さんだけだったと記憶する。


毀誉褒貶の激しいひとだったが、ときどきは至極真っ当な正論を吐いていた。


巨泉さんをスターにしてみせたのも、井原高忠さんである。


朝ドラ「ブギウギ」がスタートした。

笠置シヅ子さんを、エネルギッシュなシングルマザーとして捉えてゆくのが新しい。


「わろてんか」が朝ドラになったのは、まだ最近の気がする。


しかし、吉本興業の創業者吉本せいさんのひとり息子のパートナーが笠置さんでお嬢さんまでいたことは、まだタブーのようだった。


やっと封印が解けた。


吉本のトップが創業者一族から離れて歳月が経ったからだろう。


吉本せいさんのすぐ下の弟は、吉本興業の社長時代、山口組と共謀してレコード会社を乗っとろうとして逮捕された。


大騒動になったが、吉本興業の藝人さんたちがテレビ・劇場出演を自粛したことはなかったとおもう。


同時期、松竹新喜劇の花形藤山寛美さんは、やはり暴力団関係者から多額の借金をして短期間、松竹新喜劇から追放された。


やはりおなじころ、プロ野球に競馬は八百長騒動、映画スタアと横綱たちは拳銃所持で書類送検…コンプライアンス不在の無法地帯、それが、高度成長期の昭和であった。


令和のいまは相当にクリーンである。

カネの問題を引きずって穢れているのは政治屋たちオンリーである。


笠置シヅ子さんのことは憶えている。


しかし、ドラマの脇役や素人歌番組の審査員としてニコニコしている笠置さんしか憶えていない。ザ・関西のおばちゃんだった。


痩せてダイナミックに歌う笠置シヅ子さんを観たのは1976年、銀座の並木座という名画座でである。


黒澤明「酔ひどれ天使」のダンスホールのシーンで、笠置さんは専属歌手として「ジャングル・ブギー」を謳いあげていた。


作詞・黒澤明。


場内に笑い声が起き、わたしも笑ったが、それは笠置さんにコメディエンヌの一面が垣間見えたからでもある。


雑誌の特集でいいから、そろそろ、「日本のコメディエンヌ」が活字になってもいい。


筆頭は中村メイコさんだろう。

エノケン・ロッパ・徳川夢声と子役時代に舞台で共演している方である。


趣里さんが生まれる一年ほどまえ、父上の水谷豊さんは、松田優作さんと同じ病で同じ病院に入院していたと数ヶ月まえに知った。


驚いた。