昭和を、なんでも揶揄するな | あずき年代記

あずき年代記

ブログの恥はかき捨てかな…

何事によらず、オワコン化した制度・現象などを、


「昭和感漂う」


といったことばで揶揄う風潮があり、わたしはひそかに歯軋りしているのだ。


昭和…そりゃ、みんな呑んだくれのヘビースモーカーたちが闊歩、男は育児に参加せず、コスパもタイパもわるく、人権意識全般、いちじるしく低調であった。


ま、戦後生まれの70代、60代が叩かれるのは、いたしかたないかもしれない。


が、戦後復興〜高度成長を築いたのは明治・大正・昭和前半生まれなのだ。


明治23年生まれの父方の祖父は滋賀県から上京、関東大震災と1945年5月25日の山手大空襲で二度家を失って、そのたびに、大工だったからじぶんで建て直した。


その長男は、23歳で戦死。


次男である亡父は、高度成長期当時のことばでいえば

、モーレツに、働いた。


今日、ただいま、閑人の当方が、一日3回もblog更新できるのは、父祖のおかげです。


そういうことがわかっていたから、池田勇人以降の首相たちはおおむね、低姿勢なのであった。


この腰の低さは、小渕恵三さんまで…

森喜朗からガラッとかわる。

清和会独裁政党ではないか、いまの自民党は。


高度成長で日本が誤ったところは、いくらでもある。

が、1986年ー90年までのバブル期でさらに、一気に、軽くなった。


財テクによる好況だから浮き足立ち、地に足がついていない。


筑波万博・横浜万博はゼネコンと不動産会社のためのイベントであり、横浜は、イコンとして観覧車だけを遺した。


ダブルインカム・ノーキッズを持て囃して少子化に拍車をかけ、フリーターを永遠の夢追いびとなどとヨイショしていたのはバブル期です。


男女問わず、ブログで食べもののことを皆さんお書きになるが、食べもののことをかくのは本来、卑しいことだったはずである。


内田百閒・吉田健一の美酒・美食随筆がおもしろいのは、おふたりとも育ちと品がよいからである。


それに、このふたりは、天然の稚気に恵まれていた。


森鷗外は下戸で、夕飯の菜は茄子だけでよいというひとー坂口安吾も茄子があれば十分だったと三千代夫人はかいていたーであり、漱石も下戸、夕飯はトースト・ブタコマ・御御御付け(味噌汁)で済ませていた日があった。


贅沢は敵だなどと野暮は言わないが、令和の御代は、斜陽の下り坂なのに口ばかり、奢ってきている。


昭和は、ずっと質素です。


シャンパンなんて呑んだことないもの。

百閒センセイは、シャンパンの肴がオカラであるから、乙なものである。