クレージーキャッツとドリフターズのちがいについて 10年ぶりの再掲 | あずき年代記

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クレージーキャッツとザ・ドリフターズのちがいを2点だけあげよう。


ひとつは、リーダーとメンバーとの関係性の差によるもの。


クレージーの場合、リーダーはハナ肇(昭和5年生れ)だが、歳は植木等、桜井センリの方が上(ふたりとも大正生れ)である。植木はハナを「ハナ」と呼び捨てにし、桜井は「ハナちゃん」と呼んでいた。


サッカーにたとえると、フォワード=植木 ミッドフィルダー=谷 ゴールキーパー=犬塚弘 ディフェンダー=ハナ以下の4人 といったふうに役割分担がきまっていた。


とはいえ、ジユウにおたがいボールをまわしている感じがあった。


蹴鞠(けまり)と言い換えてもいいかもしれない。


このジユウさは映画ではわからないたぐいのものだが、ジユウなぶん、笑いを取ることに対してはドリフより淡泊だったのではないか?


最晩年に行われた植木へのロングインタビューで、彼はこのようなことを語っている。


「ボクらはもともと自分たちが愉しいとおもうことを好きにやってたからネ。ウケないならウケないでそんときは演奏に逃げりゃいいやとおもってた・・・・・」


ドリフターズを見ていると、高校野球の強豪校を連想したものだ。


いかりや長介(昭和6年生れ 加藤茶が昭和18年生れ 志村けんは昭和25年生れ)が、絶対の闘将監督であり、得点=笑いをもぎとるために、貪欲な手を打ってくる。


このあたりが、下ネタ辞さずのスタイルにつながったのではないかとおもう。


いかりやという妥協を許さない厳しい監督への、選手たちの反感、反発も笑いの要素として加味していた。いかりや、織り込み済みの采配だろう。


2点めは、音楽全般への愛着の差。


クレージーは活動休止状態に入り、役者の仕事がメインとなっても、谷、ハナ、安田伸の3人はそれぞれ自分がリーダーのバンドを持って活動していた。


桜井はオペラ愛好者であり、元気だったころは1年に1度はオペラを聴くためにヨーロッパまで出かけていた。


植木は64歳にして、念願だった、歌手としてのソロコンサート・ツアーをはたした。


ドリフターズには、クレージーキャッツほどの音楽への愛着が感じられない。


唯一伝わってくるのは、ウクレレを弾く高木ブーか?


相違点はほかにもまだある。


が、ブログの域を超えるので、このへんで。


ただでさえ、超マニアックではないか!


〈追記〉


「ドリフターズとその時代」(文春新書)がまあ売れていることもあって、この記事は毎日アクセスがある。


くだんの新書は、タイトルからして、小林信彦の「藤山寛美とその時代」「植木等とその時代」から感化されているわけであり、野心的なものといえる。


ただ小林信彦は、60年代後半、すでにクレージーキャッツとドリフターズのちがいをコラムで端的にまとめている。   


以下、要約すると…


クレージーキャッツはハナ肇・植木等・谷啓は本来の意味での藝人である。とくに谷啓はトロンボーン奏者として超一流である。ドリフに藝人はいない。肉体がいかにタイミングよく動くドキュメントみたいなものである。この点で、植木等は先輩に当たるが、植木等はじぶんはこのままでいいのだろうかと悩んでいるうちにつまらなくなってしまった。ドリフはそんなことを考えないのが強みである。ただそこが限界なのだが…


…というもので、材はクレージーキャッツとドリフターズだが、暗喩されているものは、経済成長と同時に幼稚化されている日本人のメンタリティを偶然、言い当てていた。


森繁病に陥った植木等への複雑な心情も垣間見えるが、植木等が長い歳月のあいだに一皮剥けてくることも暗示されている。


活字で最初に植木等を評価したのが小林信彦なので、渥美清同様、植木等については植木等の最後まで筆の責任を保ちつづけた。


〈追記2〉

この記事のみ10年以上アクセスがあります。

ありがたいことです。

植木等さんによれば、


クレージーキャッツ=ハナさん以外みんな大人。

ドリフターズ=いかりさん以外みんなこども。


だそうです。

半分は冗談でしょうが。

2024年8月12日