ドキュメンタリー制作 ~素材を大切にする~ | 踊る鍋奉行エリックスのブログ

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Woah Billy!
What a nice this world is!

前回に引き続きドキュメンタリー制作について語ります。
前回は編集段階で
どういった構成にすればいいのか悩んだという話をしました。
今回も編集の続きですが、
編集をしていく上で気付いた大切な事について語りたいと思います。

前々回に取材対象者である現役女子高生への想いを語りました。
彼女には本当に感謝していて
カメラの前で話をしてくれた事は
彼女にとっても普通に簡単な事ではなかったと思います。
それでも一生懸命話してくれて
私はそれに感謝しています。
それを無駄にしてはいけないと思います。
そんな彼女と私
ドキュメンタリーの取材対象者の高校生
ドキュメンタリー制作の視点で見れば
取材対象者はドキュメンタリーの素材ですよね。
彼女は私のドキュメンタリーの素材。
彼女の言葉をどう編集するか
その素材をどうするかは
ドキュメンタリー制作者である私にかかっている。

今回は物を作る時に気を付けたり考える事がたくさんあると思うんだけど
「素材を大切にする」って事 気付きにくいけど
物を作る上でとっても大切な事なんじゃないかと思ったので
他のブロガーさんが言ってて共感したので語ります。
ドキュメンタリー制作でも素材は大切にしなければいけません。
ドキュメンタリーにおける素材とはずばり撮影協力者です。
ドキュメンタリーを編集していく上で撮影協力者を大切にしなければいけないと思いました。


前回の続きになるのですが
先生にオープニングの駄目だしをされてから悩みました。
先生には
「テレビ的すぎる。
もっと大学生のあなただから作れるものにしたら?」
といわれました。
言ってることがよくわからなかったし
どうすればいいのかよくわからなかった。

見ている人の今時の高校生というステレオタイプを引き出して
それからステレオタイプを崩していく
この手法は間違っていないと思います。
でも確かに何かが違う。
オープニングで人ごみの映像に
取材協力者の女の子のネガティブな言葉ばかり抽出してしまったのも
彼女に悪いと思っていました。
彼女の話をちゃんと聞くと言いながら
理由があるにせよ結局ネガティブな言葉ばかり抽出していては
他の大人と同じ切り口じゃないか
それがテレビ的だって事なのか?

その日家に帰ってお風呂でずっと考えていた。
ネガティブな言葉ばかり抽出するのは嫌だ
作る前に一番したくないと思ったことじゃないか。
彼女の話をちゃんと聞いてた様に見せかけて
(理由があるとはいえ)ネガティブな言葉ばかり集める
周りの大人がする事と同じじゃないの?

この映像を私は彼女に見せられるの?

彼女に理由を説明したところで
彼女はこれを見てどう思うの?


お風呂ってゆうのはリラックスできるからか
アイデアが生まれる場所だと思う。
それまでガチガチに固められた頭がリラックスして
より柔軟な発想ができる場だと思う。
私はお風呂を上がって一緒にドキュメンタリーを作ってる友達に電話した。
友達はこれから寝るところだったらしくて
随分眠そうな調子だったけど
そんな事には構わず話し始めた。

「(取材協力者の)彼女の事を一番に考えた映像にしたい
彼女が見てありがとうって言ってもららえるような映像にしたい」

電話で話しながら2人の間で心がほっとするのを感じた
私たちが忘れていたもの
私たちに必要なもの
私たちが求めていたもの
私たちの映像の中核が見えた

別に彼女にありがとうって言ってもらいたいんじゃない
ありがとうって言ってもらえるような作品が作りたい
だってそれって
彼女の事を考えてつくったっていう一番の証だから。
彼女にあんなに話をしてもらって協力してもらって
私達は彼女の事を一番大切にすべきだと思った。
そんなに簡単で大切な事を私達は忘れてた。
その想いがあれば私達の映像はブレる事なく作れると思った
方向性が見えた。
翌日までに作品概要書を提出しなくてはいけなくて
かなり直前だったけど、
その想いをきちんと根本に置いて初めて全体が見えた。

やっと題名が決まった
「ただ私ができること」