​無職で金が無く飯が食べれなかった話


ご閲覧ありがとうございます。


私は20歳で田舎から都会に行き、人生で初めて

1人暮らしを始めました。


そのころは、ワクワクとドキドキがあり、

怖いもの知らずでした。


都会に住み始めて1ヶ月で仕事が見つかり、

営業職として働くことになります。


入社した会社が従業員の平均給与40万円以上で

自分はそれ以上に稼げると思っていましたが

世の中そう甘くありませんでした…


 

田舎と都会の違い

私は、そこの会社で初めて飛び込み営業をして

人生で初めて営業マンとしてご自宅の

ピンポンを押しました。


しかし、当然1回目から上手く行かないことは

自分で分かっていましたが、1時間断られ

続けると精神的に苦痛を感じました。


ご自宅周りをピンポンしてよく言われた言葉が


お兄ちゃん喋り方変だね


田舎に住んでいたので、喋り方で敬遠されて

しまうのです。


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こんにちは〜♪

○○会社の者です〜♪


​はい。

何の御用ですか?

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今こちらの地域の方で、○○の商品の
ご案内をしているのですが、、、


​要らないので結構です。

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あ、でも今回購入して欲しいって
訳じゃなくて、、、


だから結構です。

それにお兄ちゃん喋り方変で疲れる。

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わかりました…

失礼します。


喋り方だけで敬遠され断り続けられると

いよいよ精神的に限界に来てしまいます。


何が何でも仕事を辞める訳に行かないので

精神面を楽にする為に1時間に10分の休憩を

挟んで飛び込み営業をやっていました。


入社して1ヶ月が経ち営業成績は0件です。


その後当然上司から怒られて休みなしで働いて

2ヶ月目にしてやっと契約が取れました。


喋りでダメならチラシを巻いて集客しようと

考え1ヶ月間で6万枚のチラシを自分の足で配り

2ヶ月目の営業成績が2件でした。


しかし基本給20万円が給与で月に最低5件

契約を取らないと行けないのが、

そこの会社のルールで、当然ノルマ未達成

なので上司に怒られました。


3ヶ月目は10万枚チラシを配りましたが

契約は0件で、コロナが流行し始めた頃です。


 

新型コロナウイルスの到来

2020年の1月頃に新型コロナウイルスが

感染者が確認されて、そこから一気に感染が

広まりました。


当時ビジネス知識が全くなかった私は、

ひたすらチラシを配りましたが、

それが無意味であると分からなかったのです。


新型コロナウイルスの影響で倒産や職を

失う人が多くいる中で、その当時お金を無駄な

ことに使うことは生活リズムを崩す

可能性があった。


生きて行く為に必要なことにしかお金を

使わない習慣ができ始めた頃に私生活で

必要の無い商品を購入しようとする人は、

ほぼ居ません。

(お金の余っている人は別でした)


 

コロナの影響で給料が減った

当然会社も従業員が契約を取れなくなり

コロナによる売上減少を受けました。


今まで日・祝が休日でしたが、会社から

「土日祝・その他休んでいいぞ。後一度会社に

来てくれ」と連絡が入り会社に向かい上司と

面談をすることになります。


上司が「成績悪いから出勤日数減らしてくれ」

と言われ仕方がなく返事をしました。


 

ピンポン押すのが苦になった

私は心の中で「営業マンがピンポン押して、

出てくれる人は、どう思うのか?」と考え、

実際にピンポンを押して聞いてみました。


自社の商品をご案内した後に聞いてみると、

ほぼ全ての人が来てほしくないと言った。


中には、こんな時に何しに来たんだ!!(怒)

と怒鳴られたこともありました。


私もお客様の立場なら来てほしくないと

思います。


コロナが感染するかもしれないので。


 

退職を決める

今この仕事をしていても世の中の役に

立たないし会社・自分のことを考えたら

辞めた方がいいと思い会社に退職届を出し、

上司から何も言われずすぐに受理されました。


特に後先考えず会社辞め、何とかなるだろうと

思いましたが、まさかこの後に○○を

食べるなんて思ってもいませんでした。


 

初めて食べた○○

安定した給与の確保ができなくなった為、

色々制限することになります。


給与20万円あった時は以下の通りで生活です。


●家賃 → 4万円
●食事代 → 3万円

●親から借りたお金 → 3万円

●水道光熱費→ 2万円
●携帯代 → 約1万円

●残りは貯金

※社会保険も引かれたら手取り15万円程


今まで通り生活できなくなり、何を削ろうか

迷った時に食事代を削ろうと決めます。


※この時は生活する為に食事代を削ること

 だけしか考えがありませんでした。


夜だけご飯を食べていましたが、

朝・昼がお腹空き過ぎて限界を感じ、

何か0円で食べれる物がないかと

考えていた時に目の前にダンボールと本が

置いてあったのです。


私は家に帰り、実際に紙とダンボールを水に

浸して柔らかく1口サイズにして食べました。 


   水に浸す前のダンボール

          


    水に浸したダンボール

           


     水に浸す前の紙切れ

           


 水で浸して細かくした紙切れ

      


当時は不味くてとても食べられるような物

じゃないと思っていましたが、

今はいい思い出です。


水に浸した紙切れとダンボールを食べた感想は

両方水に浸した味のしない干し昆布ですね。


 

都会に限界を感じ田舎に戻る

紙切れとダンボールを食べていることを知った

家族は私に帰って来てもいいよ言ってくれた。


無職で生活が困難になって、都会に住むことが

限界だと感じた私は、都会を出ることを

決めました。


今も裕福な生活はしていませんが、

普通にご飯が食べれる幸せを実感しています。


この時期に美味しい食べ物紹介