IPCCのミス | さまようブログ

IPCCのミス

 IPCC(気候変動に関する政府間パネル) の「ヒマラヤの氷河が2035年までに消滅する」とした報告は誤りだったとする記事 が流れました。この件についてちょっと考察を。


 まずは、IPCC AR4 WG2 (IPCC第4次報告書第2作業部会)報告書の中を見てみます。ヒマラヤの氷河について書かれているのは第10章です。すでに訂正が入っているようですが、原文はこちら (PDF開きます)。この中のP493、10.6.2節に問題の部分があります。

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Glaciers in the Himalaya are receding faster than in any other part of the world (see Table 10.9) and, if the present rate continues, the likelihood of them disappearing by the year 2035 and perhaps sooner is very high if the Earth keeps warming at the current rate. Its total area will likely shrink from the present 500,000 to 100,000 km2 by the year 2035 (WWF, 2005).
"ヒマラヤの氷河は世界のどの地域よりも急速に縮小していて、もし現在のペースで縮小が続くなら、2035年ごろまでには氷河は消失する(注:実際には現在のペースが続く訳ではない)。現在50万km^2ある氷河は、2035年には10万km^2になるであろう。"

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 という感じでしょうか。

 なお、抄訳ですが、日本語訳もされています。環境省 は以下のように訳しています。

"現在の温暖化速度が継続されれば、ヒマラヤの氷河は非常に急速に崩壊し、2030年代までに現在の50万km2から10万km2に縮小し得る。"


 次に、この記述部分の引用元であるWWF (世界自然保護基金)の2005年の報告を見てみます (PDF開きます)。

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In 1999, a report by the Working Group on Himalayan Glaciology (WGHG) of the International
Commission for Snow and Ice (ICSI) stated: `glaciers in the Himalayas are receding faster than in any other
part of the world and, if the present rate continues, the livelihood[sic] of them disappearing by the
year 2035 is very high.

1999年、WGHGは「ヒマラヤ氷河は世界の他の地域に比べ急速に縮小していて、もし現在のペースで温暖化が進行すれば、2035年までに消失してしまう可能性が非常に高いと報告した

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 と、冒頭のイントロダクションに出ています。ところが、(ざっと流し読みしたところではですが)その根拠はどこにも出てきていません。あるいは引用文献のどれかに記載があるのかもしれませんが、それらを読める環境ではないので、現段階では「2350年を2035年と勘違いしてそれが一人歩きしたのではないか」という記事の指摘が最もそれらしいのかな、と思います


 この問題により、IPCC報告の信頼性が低下するのはやむをえないでしょう。しかし、信頼性の低下の度合いはどうか、というと、やはり世界はIPCC報告に信をおき、IPCC報告書に基づき政策を構築していくことだろうと思います。

・今回の問題は「ヒマラヤ氷河の後退する速度」という、気候変動という巨大な問題の中のごく一部の問題に過ぎません。「気候変動のメカニズムに間違いがあり気候変動自体に疑義が生じた」というのならともかく、一部に誤りがあったからと言って全体が否定されるものではありません。

・ヒマラヤ氷河の消失時期については再検討を要するとは言え、ヒマラヤ氷河が縮小しているのはほぼ疑いのない事実 です。ヒマラヤ氷河縮小による問題が既に発生していて、今後被害は拡大していくと思われること自体には何ら変わりがありません。

・もし、ヒマラヤ氷河に関する報告を担当した科学者(Hasnain)に故意の捏造などがあったとしても、それは科学者個人の問題であり、IPCCという組織自体に問題があったわけではありません(見抜けなかったことは失敗ですが)。数年前、黄教授がES細胞論文を捏造したという、科学界最大級のスキャンダル がありましたが、ES細胞そのものは山中教授のiPS細胞に発展していった ように、理論自体に誤りがあったわけではありません。それと同じようなことでしょう。

 

 今回はIPCC自体に問題があったのではなく(繰り返しますが、報告に不確かな点があったことを見抜けなかったのは間違いなく失敗であり反省材料でしょう)、個人の問題に帰せられる可能性が高いようです。これをもって、IPCCが組織的に報告書を捻じ曲げた、という結論を主張する向きがあるようですが、それは正しくありません。

 ただ、ES細胞のときは、スキャンダルにより、ES細胞研究は数年の停滞を余儀なくされました。同様に、今回の問題が気候変動対策を早期にとることの妨げにならなければいいのですが。


※2010/01/23 21:30追記

氷河の研究をされている方のブログに、今回の件についてのコメント があったので、紹介します。