好きな空気

好きな空気

のんきに更新、自分のペースでいきます。

Amebaでブログを始めよう!

立てば芍薬 座れば牡丹 歩く姿は百合の花・・・



なんて言葉を昔聞いたことがあります。

それを聞くたびに高校時代の部活を思い出します。



「見られるということ,その場に足から根を生やすこと」

「日常の身なり,姿勢,歩き方を意識すること」



・・・生きていくうえで誰からの目にも触れない、というのは無理かもしれないですが,

「人生を行く・歩む」というように,様々な姿勢はその人の生き方を表しているように感じます。




学校に向かうと,登校時には上り坂,下校時には下り坂になります。

1

人でぽつぽつ歩く人,友達と話しながらぽてぽて行く人,音楽を耳にザクザク歩く人

荷物の重たそうな人,足取りの軽そうな人,疲れた歩き方をする人・・・。



疲れている時ほど,気分が落ち込んでいる時ほど,私はテンポよく歩くことを心がけます。

負けたくないというか,埋もれたくないというか,何とも言えないのですが,学校に着くときには

じんわり汗をかいて体がぽかぽかしています。(←(笑))

自分のペースでやらないといや,人と同じなんてツマラナイ!という性格の表れかもしれません。












ちょっとつまづいたり,へこんだり。

進んでいたはずなのに戻っていたり。

かとおもえば

なくしていたと思っていたのに見つけたり。

失ったり、出会ったりを繰り返してる。


目を閉じて,

「はい,一秒前に戻る!」と思っても戻れない。

たった一秒とも戻れない時間を生きてる。

たった一回の自分で。


大人になった自分はもっと違う存在だと思っていたんだけど・・・


思っていたよりは子どもで。

悩むこと迷うことばかりで。

でも,

それでも前に進まなければ・・・,いや,前に進みたいなと思う。


変わらないことがあってもいいのかもしれない。

変わるものがあってもいいのかもしれない。







もう3か月以上前のことになりますが,twitterのアカウントを消しました。



身近な先輩や友人がフォローしてくれていたのですが,それが逆に息苦しくなってしまって。

「こう書いたら,悪く思ってるとおもわれそうだな」とか,「自分はこんなキャラじゃないしな」とか。



だいぶ消極的かつ個人的な意見になりますが,「結局自由ではないな」と。



・・・(twitterをしていない)ある人が「結局かまってーっとことでしょ?」と言っていたのを聞いて

妙に納得した自分がいたのもありますが・・・。




「暗黙の了解」とでも言ったらいいのでしょうか,

呟きで他人にリアクションを求めるような,コメントの裏にある考え方がひっかかったのだと思います。


面と向かって話が出来ない時,言葉から誰かの状況や心情を汲めるのはとても大切なことです。

ただ,それはあくまで聞き取った人の善意や思いやりの現れであって,「絶対」ではありません。

話をする人がそれを享受することは,当然ではないはずです。




つまりは,「言いたいことがあるのなら直接言えばいいじゃないか」ということです。逆に言えば

「直接言われないことを気にしすぎることは無い。」



でもなんだか疲れてしまって,考える時間が欲しくて,距離をとることにしました。







この時代で,ネットワークの輪にいないために不利になることは多いと思います。

ただ,それを自分で制御できない状態で使うことには違和感があります。



便利なモノのはずなのに,以前より生活に不便を感じます。