作品の幅について考える。

大前提として、
台本其の物が「どれだけの可能性を持っている
のか」または「その余地を持たせてあるのか」
によって話は変わってくるけれど。
(得てして余白の無い台本も往々にして存在するし、其れは其れで良さがある)


自身の台本について考えてみた時、
随分と遊び幅のある作品だな、
と最近気付かされる事が多い。


台詞はトチれ無いし飛ばせないし噛め無い。
演るべき段取りも多く手順も間違えられ無い。

世界観は限定されているし
空間の使い方も自由度は決して高くは無い。



けれど其れでも考える。


台詞ひとつひとつ、
一言一言を紐解いてみれば
其処に深みは見えて来る。


僅かな可能性を見つけて其処を掘ってみても
結果的に何も無い事もある。

ただそのアプローチは決して無駄では無く、
全て必要な積み立て。




自身の作品(右脳中島オーボラの本妻)は
旗揚げから一貫して貫いているテーマがある。


其れは「人間について描く事」。


ヒトは愚かで美しい。

ヒトは一筋縄ではいかない物凄く多様な生き物。

ヒトの「気持ち」はひとつでは無く、
常に様々な感情が織り交ぜられて瞬間瞬間を
生きている。



そしてヒトには「言葉」が有る。



ヒトを描いている以上嫌でも作品には
幅が出て来るし、其れを舞台の上で表出出来て
こその右脳だとは思っている。


そんな深くて面倒くさい「人間」と云う生き物
を生来の人間嫌いである私が描く。

それ故に右脳に出て来る人間は
大概どっかおかしい。



其れをハイテンポなギアに変えて、
感情をぶっ壊している様に見えてしまうから
右脳は人気が出ないのかなぁ?



何だか良く解らない振り返りになってしまった
昨日の稽古。


そして今日も稽古。

「いばパターン(お気に入り」
は避けなければ。


頑張る。