テレビの「ごきげんよう」でタレントのYOUさんの、全自動のトイレにイラッときた話。ちょっと考えさせられました。
話の内容は...自動化の行き届いたビルで、着替えをしようとトイレの個室に入り、カバンを便器のフタの上に置こうとしたら、タイミング悪くフタが開いたり、
化粧を直そうと洗面台の上にバッグを置いたら、急に蛇口から水が出たり…というハイテクも良し悪しだなあと思わせる話でした。
話の中で、間の悪い事が起こる度に「チッ」と舌打ちをするYOUさんに思わず笑ってしまいました。
でも、私がいちばん気になったのは、このトイレを開発した人のことです。
この人達はきっとトイレや洗面台を「使うとき」の事は十二分に考えていたはずです。
きっと何百回も試用はしたことでしょう。
でも、まさか「使わないとき」のことなんて誰も想定できるはずもありません。
この辺が人間の想像力の限界なのかなと思ったりします。
何かを頭の中でシミュレーションするときは、もうひと回り広い目線で考えなければ…と肝に命じる私でした。
小学生時代の夏休みの日課といえば、カギっ子だった私にとってはテレビを見ることしかありませんでした。平日のお昼といえば「ごちそうさま」→「おしゃれ」→「徹子の部屋」というのが定番コースになってました。

まず1時からは「ごちそうさま」を視ます。
この番組は高島忠夫、寿美花代夫妻が料理をつくる公開収録番組で、夫婦の関西弁トークが人気でした。
この番組のスポンサーは「味の素」だったので、味付けに「味の素」や「ハイミー」をやたらに入れるのが印象に残っています。

そして1時15分からは「おしゃれ」です。この番組は化粧品メーカーの資生堂が提供の、題名通りおしゃれな番組でした。 司会の久米宏と楠田枝里子が毎日違うゲストを招いて話を聞くトーク番組で、15分という短い時間を久米さんの早口が快活に進行してゆきます。
最後に必ず「あなたにとって”おしゃれ”とは何ですか」と訊くのが決まりになっていて、ゲストも「人生そのものです」 …といった風に真面目に答えるのが当時の空気でした。

次の番組については説明不要でしょう。1時半からは「徹子の部屋」です。この番組は1時15分からなので途中かな視てました。黒柳さんの年齢以外は現在の内容と全く同じです。
今思うと、久米宏、黒柳徹子という「ザ・ベストテン」の名コンビがこんなお昼の時間帯から名前を連ねていいたのだなあと気付きました。当時のテレビはお金がかかっていました。

追記
小学校時代後半は1時半から日テレ系で「うそつきクイズ」というクイズ番組が初まったので、そちらを視るようになりました。パネラーがクイズに答え、回答が「正しい」か「ウソ」かを一般参加者が答えるというものです。
平日のお昼からクイズ番組なんて…贅沢すぎる。
今回はテレビで聞いた女優さんの話がずっと記憶に残っているので書きたい思います。
いつの時代も女優さんのワガママはよく耳にしますが、今回はワガママというよりは自分の主張を通した女優さんについてです。
その番組は「三枝の美女対談」というトーク番組で、落語家の桂三枝さんが毎回一人の美女をゲストに招いて対談するというものでした。
そして私が印象にの残っているゲストというのが女優の加賀まりこさんなのです。
加賀さんが自分の出演した「泥の河」という映画の撮影を振り返って話をされていました。
その映画の中で加賀さんは小さい屋形船の中で客の相手をする娼婦の役をやっていました。
そして問題のシーンが、主人公の少年がその娼婦を船の中で初めて見るというシーンです。
台本には「みすぼらしい部屋にボロの着物を着た娼婦がいる...」といった風の内容が書いてあったそうです。
この台本を見て加賀さんは、少年にとってこの娼婦は、初めて見る”女”なのだから、ボロではなく美しい姿をさせたいと監督に懇願したそうです。
そして加賀さんの要望は聞き入れられて、非常に印象に残る美しいシーンとなりました。
この話を聞いたとき女優さんの作品に対する思い入れの深さについて考えさせられたのでした。
もしこの映画を見ることががあれば、最初の台本が正しいのか、加賀さんの意見が正しいのか吟味しながら見て頂きたいと思います。
そうすれば加賀さんが単にワガママな女優なのか、それともそうでないのかがよく判ると思います。
何年も前の話ですが駅のホームでポスターを何気なく見ていたとき、
ふと一枚のポスターに目が止まり懐かしさがこみ上げて来ました。
それは遊園地のポスターだったのですが、その中に戦隊ヒーローショーの案内があったのです。
そういえば自分が子供の頃もロボコンショーとか、よく観に行ったなぁ...などと思い出にふけっていると、そのポスターに何か違和感が有ることに気づきました。

その時はタイムレンジャーのショーだったと思うのですが、よく見てみると「タイムレンジャーショー」ではなく「タイムレッドショー」だったのです。
これは由々しき事態です。
ここからは私の勝手な想像ですが...
ブルーやイエローやその他の仲間達は来ないで、レッドだけで独り勝ちしてしまうってことなんでしょうか?
ソロ活動っていうやつなんでしょうか?
ひょっとしてコストの削減の一貫?
そういえばその当時は景気低迷のドン底だったはず。
もしそうなら大人の事情など判らない子供たちが納得してくれるのでしょうか?
子供たちはきっと何か満たされないものを心に感じながら家路を辿ったことでしょう。

これは、奈良県民限定になるのかもしれませんが、
私が小学生の頃の学校給食で非常に不人気だったメニューについて書きます。

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タイトルにもありますが、「みそバター」という名前を聞いてどんな食ベもを想像されるでしょうか?

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ラーメン屋のメニューにこんな名前が書いてあれば、旨そうだなあと思うかも知れませんが、ラーメンとは全く関係ありません。

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正解はパンに塗って食ベるものなのです。
当時、奈良県では家庭の洋食化と共にみその需要が低下し、みそが余る現象が問題となりました。

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その対策として学校給食に白刃の矢が当たったというところまでは良かったのですが、
何の歯車を掛け違えればそうなるのか、「パンに塗るバターとみそを合わせよう!」という心ない大人の思い着きで、多くの小学生が犠牲者となったわけです。

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味はというと・・・ほぼみその味を想像して頂ければ良いかと思います。
あえて詳しく言うなら、赤みその味そのものです。それを食パンに塗って食べたときの味を想像てみて下さい。

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その頃読んだ新聞によると嘔吐してしまう子供もいたそうです。
大人の都合の被害者はいつも子供たちなのかも知れません。
前回の記事で庭のキレイな思い出ばかりを書きましたが、
幼い私に人生そんなにキレイなことばかりじゃないよと庭は教えてもくれたりもします。
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庭で大きな石を見つけたとき、この下に何があるのだろうとついつい好奇心を出してしまい、
一生懸命掘り返して大きな石をひっくり返したら
中からたくさんのミミズがウヨウヨと出てきたこともありました。
生まれて初めて味わう後悔の気持ちです。
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またあるときは庭に自分用に作ってもらった砂場で遊んでいて
砂の中にあらかじめ猫が埋めておいたフンを思いっきり握ってしまったこともありました。
たしかそれが生まれて初めて味わう「情け無い」気持ちだったとおもいます。
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まさに庭は人生の縮図です。
子供の頃はよくひとり庭で遊んでいました。
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雑草の間を走り抜けると、トカゲがカサカサと逃げまわるのを感じたり、
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お腹が空いたらグミの木から実をとって食べたり、
イチジクをとって食べたり…と味覚も満たしてくれる庭でした。

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竹薮からは風が吹けばザワザワと音がなってきます。
「アルプスの少女ハイジ」が山小屋の大きなモミの木を見上げて、葉の音に耳をすませるシーンがありますが、
まさにあんな大きくて複雑な音がしました。

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大きな庭を想像されるかもしれませんが、
30畳もなかったように思います。
とはいえ子供の自分には果てし無く広い世界でした。
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韓国のチョウ・ビョンファという詩人の作品に、
子供の頃に遊んだ庭より狭いこの世界…というフレーズが出てきて、
まさにこの庭のことだと感じています。
子供の頃は小さい家に家族三人で住んでました。

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オトンは茶碗などの瀬戸物をつくる職人でした。
そして勤め先の窯元からこの家を借りてました。
借家とはいえオンボロながら一軒家でした。

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部屋が2つと、汲み取り式のトイレ、お化けの出そうな納戸、薪で沸かすお風呂、煙突、グミやイチジクの木が生えた
そして竹やぶ
…とまさに「となりのトトロ」のような家だったのです。(「トトロ」の家の方がもっと広いですが)

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ぼくが生まれたばかりの頃には近くに家などなく本当の一軒家だったそうです。
まさに「大草原の小さな家」を地で行く家だった訳です。(そういう題名の海外ドラマがありました。)

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そういえば家に「郵便局員立寄所」とか何とかいう看板が付いているのでオカンにきいてみたところ、昔はこの辺に家が少なかったのでわざわざ来てくれた郵便配達の人が休憩するための施設を兼ねていたのだとか言っててました。
子供の頃は小さいボロ家に住んでました。
たった2部屋の小さい家でオトンとオカンと私の三人が暮らしていたのでした
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何LDK?とか聞かれても答え様がありません。
昔の家にはリビングやダイニングといった概念がありません。
いつもご飯を食べている部屋で寝ていました。
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…と言うと平成生まれの人はきっと、大学生の一人暮らしの様なワンルームマンションを想像してしまうかも知れません。
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そうではなく… 詳しく説明すると、「おぜん」というもの(巨人の星のオヤジが怒るときよくひっくりかえしてたやつ…いわゆる「ちゃぶ台」)があって、
普段はそれでご飯を食べたり宿題をしたりします。
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で、夜になるとそれを折りたたんで布団を敷いて寝る
朝になったら布団を押入れに片づけておぜんを出して朝ご飯をたべる
…という生活をしてたんです。
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戦後の昭和の人はみんなこんなライフサイクルを送っていたのでした。
…って言うと私自身も終後の物のない時代に生まれた人間かと思われてしまいますが、決してそうではないのです。
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わたしはもっと日本が豊かになった時代に生まれてますから、我が家以外は、ダイニングやリビングのある住宅がほとんどでした。
つまりウチだけが時代から取り残されていたということなのです。
子供のころは絵本をよく読みました。
ヒーローものが好きだったので「ウルトラマンタロウ」のとび出す絵本や、
「マジンガーZ」の紙芝居風の絵本などをよく読みました。

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今ならばCD付きの絵本やICチップ内蔵の音が出る絵本などもめずらしくないでしょうが、
昭和の絵本にはレーコードが付いていました

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レコードといっても普通のブ厚いレコードではなく、本に挟みやすい様に薄っぺらい素材で出来た半透明の真っ赤なレコード。
通称「ソノシート」と呼ばれるレコードが、絵本や子供向けの雑誌(「小学六年生」など)の付録としては主流でした。

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どのくらい薄いかというと、手に持って振ってみるとペラペラと音が鳴るくらいの薄さなのでした。