のんびりとした一日 | kenji-sanのブログ(骨髄異形成症候群と共に)

kenji-sanのブログ(骨髄異形成症候群と共に)

2013年1月に突然の骨髄異形成症候群告知。毎日の病気の様子や療養生活のこと、暇つぶしの連載小説など載せています。

今日は朝から暖かく、日差しも出ると本当に春のようでした。
と思っていると突然雪が降ってきて、風が強くなり吹雪になりました。
これから寒くなったり暖かくなったりを繰り返して春が来るのでしょうね。

毎日薬漬けで、飲む錠剤は、免疫抑制剤とカビの薬と下剤と胃の薬です。
他にベクロメタゾンという、ステロイドの胃の粘膜を守る水薬、
食後に口の中に垂らすシロップ、朝に荒れた口腔内に塗る塗り薬。

また眼科にもかかっているので
4種類の目薬を1日4回使っています。
こうしてみると一日中薬を飲んでいるような感じですね。
結構それだけでも忙しいのです。


【私のフィクション6 =「黒い蝶」の5=】

次の私と黒い蝶の出会いは29歳の時であった。
私は大学に5年いて、その後岩手県の教員採用試験に受かった。
その後結婚し、様々な事情のため
長野県の採用試験を受けなおして、長野県に引っ越すことになった。

長野県に転勤して2年目に学級担任になったが、
その中に一人指導の難しい子がいた。
当時の私はまだ教員としての力が足りず、
その子をうまく指導できなかった。
そうすると、その子を指導できない私に対して学級の生徒の目が厳しくなり、
私は徐々に学級の生徒からの信頼を失っていった。

生徒から信頼されない教員ほど惨めなものはない。
しかも保護者も同じ学年の教員も、
そんな私を批判するのみで、力にはなってくれなかった。
私が教員を辞めたいと思ったのはこのときが最初で最後だった。

そんな年の夏休み、私は4時頃目が覚めた。
また眠ろうと思ったが、学校のことを考え始めると
次から次へと様々な思いが浮かび上がり、とても眠れなくなった。

その時ふと、前に親戚を案内して戸隠へ行ったとき、
奥社入り口から途中の門まで歩いたことを思い出した。
そして、そこをそのまま奥へ進めば奥社があって
さらにそこから戸隠山に登ることができるという話を聞いたことを思い出した。

私は隣の妻に声をかけた。「おい、ちょっと戸隠山に登ってくるわ。」
まるで近くの店に買い物に行くような口調につられて
妻もまだ眠そうな顔で。「いってらっしゃい。」と言った。

早朝のまだ薄暗いなか、涼しい風をあびて戸隠に向かった。
奥社入り口の自動販売機で、缶コーヒーを3本買った。
これをナップサックに詰めたものが装備のすべてだった。
おまけに靴はテニスシューズ。
今ならば「山をなめてる」と私自身が怒るところだ。

奥社に向けて杉木立の中を進み、15分ほどで奥社へ。
参拝後周りを見ると左側に登り口が見えまた。
いきなりすごい急坂である。

(続く)