外泊1日目。
先週の外泊の時に比べると
だいぶ体がシャキッとしています。
1番うれしいのは、味覚がしっかりしてきて、
食事が予想した味と一致するようになったことです。
特におひるのソース焼きそばがおいしかった。
病院ではさすがに出ないメニューです。
私のように骨髄移植をした患者の3年後の生存率というのが
ネットで調べられます。
病院ごとになっていて、私の病院は85%とかなり高いのですが、
一般的には50~60%ぐらいです。
で、考えてみると、今は移植そのもので死ぬことはほとんどないということです。
ではどうして3年間生きられないかというと、
ほとんどが他の病気たとえば肺炎などで亡くなっているのです。
つまり退院した後も長い間免疫が弱くなっているのに
仕事などで人混みに出て行って、風邪のウイルスをもらって、
普通ならすぐ治るのに、免疫が弱いのですぐ肺炎になって死に至るとか、
腎不全や肝臓障害を起こして死に至るとか、
再発するとか…。
退院が近くなってきた感じなのですが、
今度は退院後の生活が不安になってきました。
病院の私の病棟はほとんど無菌状態で守られているのですが、
自宅ではそうもいかない。
自分で考えて自分の体を守らないといけないなあとつくづく感じます。
【過去の思い出 =祖母と私1=】
私にとって、祖母といえる人は結婚前は3人、結婚後はもう3人増えて6人になりました。
しかし、私にとって祖母といえば、盛岡の家の祖母です。
父が養子のため、直接血のつながりはないのですが、
私は小さいころかなりのおばあちゃん子であったようです。
この祖母にはちょっとした歴史があります。
私の祖父は私が生まれたときにはもう亡くなっていましたが、
地域の消防団の長であったほかに、よくいえばもめごとの仲裁役
悪く言えば、昔のやくざがかったところがあり、
荒っぽいが義理人情に厚いというちょっとした顔役だったらしいのです。
その嫁に来た祖母も、祖父にきたえられ気合の入った人になったようです。
2人には一人娘がいました。祖父も祖母も子煩悩で大事にしていたのに、
この娘さんは20歳ごろ突然亡くなってしまったのです。
2人とも本当に嘆き悲しんだようです。
特に祖母はどうしても娘さんのことが忘れられず、
何度もお寺に通ううちに、本当の仏教徒になりました。
普通、家は仏教だとか言っても、宗教としては
あまりかかわらない日本人が多いです。
しかし創価学会の会員は宗教をやっています。
同じように祖母は洗礼のようなものを受け、宗教として仏教にかかわりました。
ですから、仏教の教え通り、「無益な殺生」を嫌いました。
朝夕のお勤めを毎日きちんとしていました。
月一回は「お講」と言って近くの方々も私の家に集まり
みなでお念仏を唱えていました。
月1回は精進の日があって、その日一日は肉、魚、卵などを一切食べず、
精進料理だけで過ごすのです。
この祖母と祖父の人柄を象徴する話があります。
私が生まれる前の話です。
祖父は小さいころから釣りが大好きで、
結婚してからも暇さえあれば釣りをしていたようです。
ところが、仏教徒になった祖母はこれが無益な殺生なので
どうしても許すことができません。
それで時々祖父に言うのですが完全に無視されました。
それでもと思い、ある日釣りから帰って上機嫌の
祖父の前で土下座をして、必死に、釣りを止めてくれるように頼んだそうです。
それをじっと見ていた祖父はいきなり自慢の釣り竿を
自分でたたき折って、家を出て行きました。
しばらく祖父は機嫌が悪かったようですが、
その日以来一度も釣りに行かなかったというのです。
私は祖母から聞いたこの話が大好きです。
(続く)