東北の2校、特に花巻東残念。
どうも前の試合で、千葉君がサイン盗みをした
ということで、ネットなどで非難の声が上がっている。
審判はあくまで紛らわしい動きはやめるようにという注意だったのに
千葉君がサイン盗みをしたと決めつけて卑怯だという正義の声?をあげている。
そのせいか今日の千葉君はファールをしなかった。
せっかく彼があの体で戦える方法を見つけ、練習してきたことが発揮できないなんて。
ちょっと悲しい気がした。
さて、体調は薬のおかげでだいぶ良くて、
体重も少し戻しました。
少しずつですが体力作りも始めています。
色々な薬漬けですが、体調がいいと気分も明るくなりますね。
このまま何もなくて退院まで行けるといいのですが。
【過去の思い出 =古銭と私3=】
ここで私は気づきました。
この話は6年生の時の話です。訂正です。
さて、親にも承諾してもらい(目的は捏造して)、
新聞配達が始まりました。
4時に起きて、販売店に行き、自分の分の新聞に
広告をはさみます。束ねたら自転車に積んで
配達する場所まで行きます。
約70軒に配達します。
販売店に戻って報告してから帰宅します。
朝ご飯を食べて学校へ。
今思うとよく続きましたね。
雨の日は悲惨ですよ。犬も怖いんです。
雪積もると、まだ雪かきしてないから
雪をかき分けて進むのです。
月9千円ぐらいもらえました。
多分ほとんどを古銭に使いました。
次の給料日までに欲しい古銭を決めておきます。
おっちゃんにはわざとしまっておくよう頼んだりしました。
徐々にコレクションも増えて、
私としては充実した日々でした。
そのころには、寛永通宝については
見ただけで、どの時代にどこで作られたものか
鑑定できるようになっていました。
しかし、12月に入って暗雲が立ち込めます。
古銭ブームは私一人ではなかったので、
当然友達と古銭を見せ合ったり、交換したりしていました。
そのうちの2人MとNが家に遊びに来ました。
そして、私の家にはまだ古銭が隠してあるかもしれない
そういって家の中を家探しし始めました。
私はあまりいい気分ではありませんでしたが、そのうちMが
神棚の中からすごいものを見つけました。
それは枝銭と言って、鋳造された銭を枝から切り離さず
5枚の絵銭が木の枝の先についたような形状です。
もちろん価値は高いものです。
私は大事に箱の中に綿を入れてビニールを張って
専用ケースを作りました。
私は信心深い人ではないのですが、
今考えても、神棚に奉納してあるものを
勝手に取り出したりしてはいけなかったなと後悔しています。
これがそのあとの不幸の始まりだったのです。
(続く)