復元した富士見櫓の宇都宮城。

今回は宇都宮国綱の父である宇都宮広綱を書きますね。

宇都宮広綱は21代目の宇都宮城の当主でした。

宇都宮広綱が出るのは芳賀氏、高定の頃になります。
これはまだ幼少だった広綱が高定に守られて広綱は真岡城で育ちます。

生まれて6年後、広綱は父の敵討ちを果たします。
その後、宇都宮城に急変がI

下克上を果たした壬生綱房が宇都宮城で急死する出来事が。

これにより離れていた宇都宮城は再び宇都宮氏の元に戻ります。

広綱は宇都宮城に入ると




常陸の佐竹義重や越後の上杉謙信と外交して




北条氏の侵攻を防いだり、小田原合戦で小田氏治を敗走させています。

宇都宮氏は外交策を使って独立を保っていましたが病には勝てずに32歳で死んでいますI

広綱は病におかされていたとも有りました。
その後は国綱に継がれます。

次はその父、尚綱の頃はどうだったのか?

暫しお待ちをI


Android携帯からの投稿