皆さんおはようございます。

前回に引き続き、伊奈忠次の事柄になります。

前回は、長篠、設楽原の戦いで復帰した所まで書きました。

さて、出奔するのはこの後に起きます。

松平信康(信長の野望より。)

家康の計らいに依り、長男の松平信康に仕えますが、事件が起きます。

例の武田義信と築山殿との内通事件(これには諸説有り。)。

これにより、家康は泣くに泣いて信康を処断。

仕える場所を無くした忠次は再び出奔・・・

しかし!

再び復帰します。

それは伊賀越え。

堺に遊びに来ていた家康に思わぬ事態が!

そうです。本能寺の変。

家康は家臣の計らいで三河に帰る決断をします。

その中、伊奈忠次も手助けします。

その手助けによる功績で再び復帰します。(珍しいケース・・・恐らく家康は不思議に思っていたでしょうね。何で?って・・・(通常寝返り→復帰→出奔→復帰って余程功績が無い限り難しくなるはずあせる))。

その後は家康家臣の一員としながらも秀吉の小田原討伐、朝鮮出兵時に兵担線の確保、輸送、荷駄、街路整備等内政面に力を発揮します。

伊奈忠次は何度も出奔しながらも復帰するという三河武士でありながら出戻りするという極めて珍しいケースの武将かも知れないです。(多分某だけか?)

その後、関東移封に依り伊奈氏は三河から武蔵に移ります。

さて、関東移封で忠次はどうなったか?

それは次回に。


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