利用する側の視点に徹してミュージアムをとらえ直す「Museumソムリエ」
ご案内役のAC(Museum alive Inst.)です。

ミュージアムは、
「私たちがその場に行くことで成立する」という意味で、「空間のメディア」の一つだと考えられます。
ほかに、劇場・ホール、テーマパーク、百貨店、商店街なども、「空間のメディア」として存在しています。


今回は、
「見世(みせ)」と「店(みせ)」の違いから、「空間メディアの世界」をのぞいてみましょう。

◼️「モノを売る」スタイル
時代劇(平安時代~江戸時代)を思い起こしていただくとわかりやすいのですが、
「モノを売る」形式は、つぎの2つに大別することができます。
【A】売る人がモノと共に移動して、売り歩くスタイル
【B】買う人が店舗まで移動し、店舗で買うスタイル

江戸時代においても、
【A】品物を手や肩にかけて移動しながら売り歩く「振売(ふりうり)」
【B】大道(だいどう=大通り)や神社仏閣の境内などに見世(みせ)を出して、移動しないで商売する「立売(たちうり)」
の二種類がありました。

振売(ふりうり)は、棒手振(ぼてふり)ともいうそうですが、天秤棒を担ぐ魚屋を思い起こせば納得しやすい呼び名です。

さらに、具体的に例をあげると、とてもわかりやすいです!
・荷箱や荷ざるに品物を入れ天秤棒(てんびんぼう)で担ぐもの(魚売,酒売,豆腐売など)
・商品を手で持って売るもの(双六=すごろく売,宝船売,暦売など)
・台輪に商品を載せて担ぐもの(桜草売,植木売など)
・挟み箱を担ぐもの(薬売)
・市松模様の屋根の屋台で売るもの(虫売)
・弁慶(竿の頭に藁を束ねたもの)に差して売るもの(鉢たたき,つくり花売,ほおずき売),
・傘をさした物売(飴売),
・品物を入れた箱を背負った物売(筆墨売,羅宇屋(らおや=)),
・箱を肩にかけた物売(お豆さん売)
・箱を首にかけたもの(だんご売,しゃぼん玉売)
・引出し付の小箱を手でさげて売りにくるもの(煙草売,歯磨売)
・品物を頭にのせてくる物売(女の魚売)
・箱を片方の肩に担ぐもの(鮨売)
など、
江戸時代を舞台とする「時代劇」には、「振売」つまり、移動販売の物売りがたくさん登場します。
注意して見ていなくとも、時代劇ではお馴染みの風景になっています。

◼️“仮設“の「見世」と“常設“の「店」

「見世」と「店」の違いは、ズバリ!
・「見世」形式=建物を構えない形、すぐに撤去できる仮設のもの
・「店」形式=建物を構える形、いわゆる常設のもの

「見世」と言えば、浅草の「仲見世(なかみせ)」を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。

江戸の人口が増え、浅草寺への参拝客も一層賑わいを増していた、元禄から享保の頃(1688年~1735年頃)、
浅草寺境内の掃除の賦役を課せられていた近くの人々に対して、境内や参道上に出店営業の特権が与えられた。
これが仲見世の始まりだと言われています。

浅草の浅草寺内で「見世」というときには、「容易に撤去できる店構え」を指したと言われています。
非常時や特別な参拝者の参拝時には、速やかに撤去できる。そのような形式を「仮設」といいます。

最も簡素な形なのが「干見世(ほしみせ)」と呼ばれる、地面に品物を陳列して販売し、容易に片づけができるスタイル。
「見世棚(みせだな)」は、軒端(のきば、のきはし)に棚を設け、その上に品物を並べ、往来の人びとに販売するスタイル。これでも、店じまいはあっという間にできそうです。


現在の浅草の「仲見世通り」は、
江戸時代の公式記録では「中見世」と書かれていますが、明治期になると仲見世通り沿いは煉瓦家屋に改造され、東京府(現在の東京都)が「仲店」と呼称するようになったそうです。
「見世」と「店」の違いをよく示しています。

現在、「仲店」ではなく「仲見世」という表記に戻っており、本来の言葉の意味とは違った使い方がされているのがわかります。
経緯はわかりませんが、イメージを重視した呼称なのかもしれませんね。


それではまた、
次回の「Museumソムリエ」で。