光秀の妻、煕子の命日に関する資料(古文書)が、
滋賀県大津市の西教寺で7日から公開されています。
昨日のニュース
煕子の死亡時期は、
天正4年(1576年)説と天正10年(1582年)説がありますが、
今回公開される資料は
天正4年(1576年)説を裏付けるものとなるようです。
さらに、
もういっちょ!
少し古いニュースだけど、
涅槃図の裏に煕子さんの戒名が・・・
ってやつね。
涅槃図裏に明智光秀の妻の戒名 - 死亡時期の裏付け、大津の寺https://t.co/YW7nEDLRFu
— 共同通信公式 (@kyodo_official) August 7, 2020
産経新聞
涅槃図裏に光秀妻の戒名 死亡時期裏付け、大津の寺
こっちは観に行ったから、
写真貼っておくよ。
2020年8月19日
大津市歴史博物館
これが涅槃図(裏)です。
拡大
煕子さんの戒名
福月真祐大姉(ふくげつしんゆうだいし)
確認できました🙆♂️
この涅槃図が聖衆来迎寺に寄進されたのが
天正9年(1581年)って事なので、
こちらも天正4年(1576年)説が有力って資料だね。
さて、そうなると天正10年(1582年)説の裏付けは?
という話になりますよね。
天正10年(1582年)説の裏付け資料は明智軍記になります。
そこには煕子が天正10年(1582年)に死去したことが記されていますが、
明智軍記の信憑性は低いとされています。
ドラマ的には、
天正10年(1582年)説を採用した方が良いと思うけど、
麒麟がくるはどうするんでしょうね。
キャストビジュアル 煕子/木村文乃さん
おしまい。





