本当に大好きな曲です。ニコニコ動画でいよわさん手書きのMVを見てください!
この曲の主人公は、水難事故で彼女を亡くしました。MVで写真立てを抱えて尾びれを揺らしているのは、彼女の幻です。MVの場所は主人公が暮らす部屋です(事故前は同棲していたのかも)。MV画面左に描かれた窓からは、海が見えています。
彼女が目の前で溺死したという現実が受け止めきれなかった主人公は、彼女は実はセイレーンだったので生き延びることが出来たという非現実的な思いつきにわずかな救済を求めてしまいます。しかし、この思いつきがただの妄想でしかないことを理解するくらいの理性も残っている彼にとって、心からの救済にはなりません。
「全部ぼくの責任だから
呪われても文句は言えないが 」
目の前で溺れる彼女を助けられなかったことへの自責の念から、主人公は自罰的になっています。
「いつか
きみがただの水死体に戻ってしまえば
二人で撮った写真も紙になって濡れてくけど
きみがぼくの脳みその味に興味をもつ迄
ここで暮らしていよう
まだ今は」
きみがただの水死体にもどってしまうとき=主人公が彼女の死を受け止めきれたときです。二人で撮った写真が紙になって濡れていくという歌詞は難解ですが、二人の世界が非現実から現実へと戻ってくることを表現していると捉えます。しかし、彼女の死を真っ直ぐに受け止めることはあまりにも難しく、今の主人公にはできません。自罰的になっている現実逃避気味の主人公は、助けられなかった彼女への贖罪として、彼女の餌になって死ぬという終わり方を望んでいます。
(いつかきみはぼくの)
つまさきをつかんで
(そのままちからまかせに)
ゆかにたたきつけて
(しょくよくのままに)
なすがままにしてよ
罪ごと 噛み切って さあ
助けられなかった彼女に申し訳なく思うがあまり、彼女に殺されることで罪を清算させてほしいと望んでいます。食事は命を繋ぐ行為に他なりません。自分のせいで彼女を死なせた罪は、自分が死んで彼女を生き長らえさせることでしか償えないという意識が、捕食という殺害手段を選ばせています。
「いつか
鏡の中水死体が写ってしまえば
二人の恋は泡になって深海で漂うけど
きみがこの部屋を赤く染める時まで
ここで暮らしていよう
まだ今は」
いつかふとしたタイミングにでも、妄想を手放し現実を受け入れることができてしまえば、この恋は深海に沈んだ彼女と共に薄れてゆき、主人公は区切りをつけて前に進むことができます。しかし、主人公に彼女を諦めて前に進みたいという気持ちはありません。自分の死ぬ時まで、セイレーンに化けた彼女とともに停滞した時間の中にいたいのです。
(そうやってまで
ごまかすつもりなんだ
げんじつをみろ
もういないんだ)
しかし頭では分かっています。目の前にいる彼女のセイレーンは幻で、本当の彼女は亡くなってしまったということを。
「きみがただの水死体に戻ってしまえば
きみがただの水死体に戻ってしまえば
なんて強がりだな
本当はずっと一緒にいたいんだよ
そうだよ 恋したんだ おいていかないで
二人で撮った写真は紙になって濡れてくけど
きみとぼくの水死体がうかんでくるまで
ここで暮らしていよう」
彼女が亡くなったという現実を受け入れてしまったら、区切りをつけて次に進んでいけると先程の歌詞で述べていましたが、それは間違いでした。立ち直ることなどできようはずがありません。彼女が亡くなった、目の前のセイレーンは幻という現実の世界に戻ってきてなお、主人公は彼女とともに過ごすことを選んだのです。彼女の後を追うという方法で。現実を受け入れた彼は、唯一の救いを求め、彼女が消えた海へと飛び込みました。