前回は気学は占いであるという話を書きました。

ただ特殊能力を必要とする占いではなく統計的な、多くの資料を分類し結果をまとめた占い、ですから勉強すれば誰でも占うことが出来る、と。

 

占いと聞くと少々いかがわしい印象を持たれる方もいらっしゃるでしょうね、私も初めはそういったネガティブな印象を持った記憶があります。

でも勉強してみて思いました、気学は占いでもあるが人生哲学だと。

このあたりの話はまた別に機会に。

 

古代の中国の易経という文献の中に「吉凶悔吝動より生ず」という言葉があります。

きっきょうかいりんどうよりしょうず、と読み、良いこと・わるいことは全てその人の行動が原因である、というような意味です。この動きという部分は、単に行動だけでなくどちらに動いたかという意味もあります。

 

なぜいきなり易経の話になったかというと、気学は易経を基に作成した暦を基本としているからです。

小難しい文献の話は、これもまた別の機会にします。

 

人は生まれながらにその人の基本的な運を持っていて、その後の移動によって運勢が良くなったり悪くなったりすると考え、ならば運を良くするような動き方をしようというのが気学の考え方です。

 

良い方位は人によって異なります。正しくは生まれた日で決まる「本命」で異なり、本命は9種類です。

また同じ人でも良い方位は年月で変わります。これも細かく考えるなら年、月、日、時、分、秒と変わるのですが、時、分、秒は細かすぎるのでよほどのことがない限り無視していますが。

 

という訳で簡単にまとめると、その本命の人にとってその時期に良い方位に行くということを実践し、これを祐気採りと呼んでいます。

良い方位に行ってどうするか・・・これはその人次第。遊んでもいいし、寝てても良いし神社仏閣へ参拝しても良い。乱暴な言い方をすれば「行きさえすれば良い」のです。

なぜかというと、そこの気に触れることが目的だからです。

気学という名前の通り、そこの良い気に包まれることが目的で出かけているのですから。

 

中にはお水取りとかお砂取りと言って、そこで水や砂をもらってくる方もいらっしゃいます。

私たちの気学ではそれはしません。もちろん否定などしませんが。

済みません、このあたりの話もまた別の機会にします。

 

という訳で、自分に良い時期に良い方位に出かけて行く、これが気学なのですが、ここでこの「時期」を決めているのが暦です。

暦とはカレンダーなのですがこれが少々特殊で、旧暦で作られています。

古代の農耕民族が一年を「作業の時期の目安として」ある程度の長さで区切ったものである24節季を基にした暦で、立春から始まり節分で終わります。

 

この暦、皆さんも本屋さんで見かけたことがあるのではないでしょうか、八角形の中に漢数字で一、二、三と書かれたもの、ちょうどそろそろ来年の暦が並ぶ頃でしょうか。

いわゆる「高島暦」と呼ばれているものです。

気学ではこういう暦を使います。

 

ただ・・・、

私の学んでいる気学はこれとはまた違っているものです。

簡単に言えば、隠遁(いんとん)暦というものを使います。

隠遁、それから陽遁(ようとん)、このあたりの話もまた別の機会にします、長くなりますので。

 

気学は園田真次郎という先生が大正時代にまとめたものなのですが、その時のお仲間の田中胎東先生が始められた流派がこの隠遁のみの暦を使った気学です。

従って気学の世界では「田中胎東流気学は邪道だ」とお考えになる先生もいらっしゃるようですが、学問の一流派を邪教のように呼ばれるのは学者としていかがなものか、と私は思うのですが、これもまた別の機会に。

 

少々長くなりましたので簡単にまとめると、

園田真次郎先生が気学をまとめ、その中の一つの流派である田中胎東流気学という、隠遁のみの暦を使った気学を勉強している、ということです。

 

田中胎東先生は園田先生の元を離れた後、京都で気学講堂を創設されますが、第二次世界大戦中に若くして他界されてしまいます。田中胎東流気学はその後、お仲間の相羽鴻賢先生たちによって天道会として引き継がれます。

私の先生はこの相羽先生に師事し気学を学ばれた方です。

いろいろな事情で(いろいろあったようです・・・)組織名称を変更し天道会から太陽会、そして現在は佑和会という名称です。

 

と、このような系統の気学を学んでいます。