京都は朝から雪です。
しんしんと、という言葉がぴったりの降り方。
隣の公園もお寺も真っ白。
子供たちは、雪だるまを作っています。
仕事場の出窓の外に見える大きな木にも
雪がたっぷりと積もっています。
おせち料理の手を止めて、窓の露をぬぐっても
今日は比叡山も大文字見えません。
大晦日の雪。
天はいつも、にくい采配をしてくれます。
PFM
まめ@遠藤範子
京都は朝から雪です。
しんしんと、という言葉がぴったりの降り方。
隣の公園もお寺も真っ白。
子供たちは、雪だるまを作っています。
仕事場の出窓の外に見える大きな木にも
雪がたっぷりと積もっています。
おせち料理の手を止めて、窓の露をぬぐっても
今日は比叡山も大文字見えません。
大晦日の雪。
天はいつも、にくい采配をしてくれます。
PFM
まめ@遠藤範子
「毎日の生活の中で、コーチンコミュニケーショングが
当たり前に行われていて、『コーチという職業がなくなること』が、
私の大きな目標。」
2000年にコーチとして独立した時に、
当時のコーチから投げかけられた質問
「遠藤さんのコーチとしての目標は何?」
あんまり深く考えずに、口をついてでたのがこの答えでした。
派遣会社に勤務し始めた1980年代、ワープロは
まだワードプロセッサーと呼ばれ、各メーカーが
それぞれにワープロを作っていました。
メーカーごとに特徴があったので、その機種を
使ったことがない人では、お仕事にならない時代でした。
当然ワープロオペレーターには高額な時間給を支払って
いましたし、いつもいつもワープロ専用機のオペレーターを
募集していました。
今、ワープロオペレーターという仕事はなくなりました。
それは、ワープロがなくなったのではなく、一太郎という
日本語に特化したワープロソフトが出現し、
’95にはWord95がリリースされ、みんなが簡単に
使えるようになったから、専門家がいなくても
良くなったわけです。
きっと、コーチもそんな時代を迎える日が来ると思っています。
2004年から大学の授業でコーチングを教えています。
2006年からは、私が大学に入学したのをきっかけにコーチング
自主ゼミを立ち上げて、同級生の学生を中心にコーチングを教えました。
その学生だった人たちが、今社会人として仕事をしています。
私がコーチング研修を管理職向けに行った会社に、
就職が決まった人も出てきました。
コーチングを勉強した学生が、コーチングを学んだ管理職の
もとで仕事をする時代がやってきました。
学生たちも、お父さんやお母さんになり、コーチング
コミュニケーションで子供たちを育てるでしょう。
学校に行けば、コーチングを学んだ先生が、子供たちひとりひとりの
可能性を引き出そうという、コーチングマインドを持って、授業をする。
病気になったら、コーチングを学んだお医者様や看護師さんが
一緒に治していくんだ、という姿勢で治療をしてくれる。
そんな時代になったら、コーチングというものを知らなくても、
自然にコーチングコミュニケーションでみんなが話をするように
きっとなっているはず。
そんな時代に早くなってほしいと祈っています。
PFM
まめ@遠藤範子
♪明日という字は明るい日と書くのね~♪
この間セミナーの帰り、夜道を歩いていたら
ふっと口ずさんでいました。
口ずさみながら、愛という字は心を受けると書くのだと
いうことも思いだしました。
「愛という字は心を受けると書くんですよねぇ~?」
当時のインタビュー番組で、その歌手がゲストの時、
司会者の石坂浩二さんが、おっしゃったことばです。
PFM
まめ@遠藤範子
なんて言う歌やったっけ~ともやもやしている人のために、
『悲しみは駆け足でやってくる(1969年)』です。
「わかってるんだけど。。。。
でもできない。」
と言う場面はたくさんあります。
コーチングを学び始め、コーチングを受け始めた、2000年頃。
いろんな自分が内側にいることを知りました。
コーチングを受けて気づきました。
知っていることとわかっていることは違うんだ。
私が「わかってる!!」と言うとき、
それは知ってるだけなんだと、気づきました。
それから、周りにいる人を見ていると
知っている人は語ってる。
わかっている人は、黙って実践している。
PFM
まめ@遠藤範子
子供のころに父が教えてくれた事が、50歳をこえたころからやっと意味がわかるようになってきました。
私は茶道の家元がいくつもある場所で生まれ育ちました。
茶道具を売っている店もいくつもあり、小学校に通うときに季節ごとに変わる茶道具に見とれていました。
そのことを父に話すと、
父が「真贋の見極め方を教える時、どうするか知ってるか?」と聞きました。
「真贋?」
「真贋と言うのは、本物と偽物と言う意味や」
「???」
父が言うには、
本物と偽物を見極められる力をつけるには、子供のころから本物だけを見せ続ける。
偽物はいっさい見せない。
そうすると、本物だけが持っているものを感じる力が付き、
偽物が目の前に来た時何か違和感を感じる。
ホオポノポノでも、ものにはすべてアイデンティティがあると教えています。
そのものにも、人格のように物格と言うようなものがあるということですね。
日本的に表現すると、物にはすべて神様が宿っているということになるのでしょうか?
メルトコーチング的に表現すると、どんな気持ちでその物が作られたのか、ということです。
要らないものがなく、真に良い物を作りたいという心で作られたものには、
その物しか持てない品格があるということだと思います。
PFM
まめ@遠藤範子
飽き力(あきりょく)
飽きる力を「あきりょく」と呼んでいます。
もちろん、造語です。
辞書には載っていません。
1998年、老人力という本が流行った時に、私も「力」がほしいと思って考えていました。
私が人によく言われていることは何だろ?って考えました。
「飽きっぽい」
これは母によく言われていました。
飽きっぽいかぁ~と考えると、確かに私は飽きっぽい。
でも、自分では私って飽きっぽいなぁと思ったことは一度もありません。
じゃあ、この私の飽きっぽさってなんなんやろう??
「次に気になることが表れてきて、そっちが気になるので、
前に気になっていたことがどうでもよくなる状態。」
これが私の飽きっぽい状態。
もし、この飽きっぽいことが「力」だとしたら、と考えてみました。
飽き力は、飽きっぽいとはちょっと違います。
「力」と呼ぶからにはそれなりのエネルギーやパワーが必要です。
飽き力とは、
1、新しいことに臨む時、素直にその中心にある真理をつかめる力がある
物事には必ず中心にある、「真理」があります。
その真理を体得するために、一切の疑いをはさまず
素直に真理に近づこうとします。
そして、その真理を素早く手に入れる力があること。
2、つかんだ真理を惜しみなく、自分の言葉で人に伝え、手放せる力がある
何かを自分が得た時、つい自分だけのものにしたくなります。
見つけた真理を自分の言葉で人に伝えて行き、人が使っても問題にしない。
広がることを良しとして、みんなで分かち合えること。
**真理を掴んでも自分だけの物にして、握ってしまうことで
自分の価値をつくろうとするのは「お局」(死語ですね)**
3、常に次のあたらしいことに向かって行ける力。
一つのことを成し遂げると、つい一休みしたくなります。
みんなで分かち合った後は、真理をつかんだ物事に執着せず、次に向かう。
そして、また次のことに集中して、真理をつかもうと進んでいく。
**手放しても次に行かないと、単なる飽きっぽい人**
PFM
まめ@遠藤範子
「メルトコーチってなんですか?」と、名刺を見てよく聞かれます。
(ちなみに以前は、肩書きを「キャリアヴィジョンコーチ」と書いていました。)
メルトコーチって簡単に言うと、
心の中にある不要なものを溶かすコーチングです。
クライアントさんの心の中にあるものだけではなく、
コーチである私の中にもおなじものがあるので、
その両方を溶かしていくコーチングです。
クライアントさんの中にある不要なものは、
私の中にも同時にあって、私の中の不要なものを
私が溶かすと、クライアントさんの不要なものも
溶けていくと言えばわかるでしょうか??
たぶん、このコーチングをしている人は、
私、まめ@遠藤範子だけだと思います。
この説明では、何を言っているのかわからないよ~と
思われた方は、長い長い文章ですが、メルトコーチングを
始めた経緯をお読みください。
PFM
まめ@遠藤範子
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
話は10年以上前にさかのぼります。
1999年2月、15年間京都と東京の派遣会社で勤務しましたが退職
3月からその経験を生かして、派遣で働くスタッフの方の悩みの相談室を
立ち上げるように要請されました。
相談室の広報、会員集め(派遣会社に営業)、そして電話で相談へのアドバイス。
毎日忙しくて疲れていた私は、ある日電話相談を受けているときに、
「今日はとりあえず聴くだけにしよう。」と思って、「そうか、そうなんですね」と
相槌だけを売っていました。
そうしたら、いつもよりも相談者は元気になり、お礼の言葉を言ってくれました。
そして相談時間も90分が半分の45分で満足していただける言葉が返ってきました。
試しにその後も、じっくりと聴くことだけをしていたら、どうもこの方法のほうが
良いのかも知れないという思いになってきました。
「そうか、人は私のアドバイスがほしいんじゃなくて、聴いてほしいんだ!!」という
ことに気が付きました。
当時はコーチングのことは全然知りませんでしたが、コーチングの原点に出会いました。
1999年夏、長年の激務から病気になりました。
2000年の1月、この相談室を退社するときに、あいさつに行った派遣会社の役員の
方から「これからどうするの?京都に帰るの?」と尋ねられました。
私は「京都には帰りません。今やっている相談の仕事は、これからの世の中に必要な
仕事だと思うので、続けて生きたのですが。。。」と言ったら、「それはコーチよ。」と
コーチングのトレーニング会社のパンフレットをもらいました。
2000年2月、私はコーチングに出会いました。
「私がこれからの世の中に必要な仕事だぁと思った仕事があった!」
「コーチかぁ~。アメリカには10,000人もコーチがいるんやぁ~。
それなら日本にもこれからコーチという仕事が生まれてくる」と、
嬉しくて飛び上がりました。
翌日にはコーチングのトレーニングの申し込みに行き、
3月からコーチングの勉強を始め、その年には一番最初の資格、
財団法人生涯学習財団認定コーチという資格をもらいました。
それから、生涯学習財団のプロフェッショナルコーチ
国際連盟のプロフェッショナルコーチ
CTIジャパンのCPCCと
資格を取りながらコーチングを仕事にしています。
4年くらいたった頃、
クライアントさんのコーチングでの課題は、
私の課題と一緒だということに気づきました。
なぜそんなことが起こるのか、
世の中にはまだ「引き寄せの法則」も
知られてなかった頃です。
短絡的な私は、きっと「心理学」にそのような研究が
なされているのではないかと思い、大学に入りました。
でも、心理学にはその答えはありませんでした。
(もちろん心理学を学んで得たことはいっぱいあります。
一番感動したのは、ソクラテスの産婆術 。
これってコーチングやんと思いました。)
さらに、この「なぜクライアントさんが課題として
あげるテーマは、私の課題と一緒なのか?」という
問いを持ちながら、コーチを続けていました。
一つだけはっきりと分かっていたのは、
クライアントさんがもっているテーマ、課題を実現するには
実現を阻害しているものを溶かせばいいのだということでした。
不要なものをなくして行ったら、自然にクライアントさんは
行きたいところに行ける(テーマを実現できる)ということです。
では、どうやって溶かせばいいのか??
これが次の私自身への問いです。
このころから、名刺の肩書をメルトコーチにしました。
2007年秋に弟からホオポノポノの本を紹介されました。
というか、弟の体験がホオポノポノの本に掲載され、それを
報告に来た時に、ホオポノポノの本があるということを知ったと
言うことです。
そのホオポノポノの本の中に、私がずっと持っていた問い
「なぜクライアントさんと私の課題は一緒なのか?」
「課題を実現するために不要なものを溶かす方法は?」
この問いに答えてくれるすべてがありました。
ホオポノポノを世界に広めている、「ヒュー・レン博士」のお話は
全部私がほしかった答えでした。
そっかぁ~そういうことかぁ~。
なんやぁ~やっぱりそうなんやぁ~。
クライアントさんの課題と私が持っている課題が
一緒なのは当たり前だったのです。
そしてホオポノポノでは、それを消去すればいいと
言っています。
ホオポノポノを知ってからはコーチングをする前と後に、
ホオポノポノのクリーニングをしています。
それからクライアントさんと私が共通して持っている
課題をメルト(溶かす)コーチングをするのです。
**********************
2009年からはホオポノポノのセミナーの
アシスタントをさせていただきながら、
ホオポノポノの実践をしています。
ホオポノポノにつては↓下記をクリック
本はこちら↓
マイペースやなぁ~とか
わがままやなぁ~とか
言われるとき.
ほとんどは良くないこととして言われている。
マイペースって
「自分自身の速度」
「自分自身の進め方」
わがままって
「自分自身のあるがまま」
「自分本来」
という元々の意味にもう一度戻ってみたい。
自分の中に答えがあると信じて
自分と話を始めたとき、
自分らしい進め方で
自分らしさが表現できる何かが
きっと見つかる。
外にはない!!!
と、いつも私自身に言い聞かせている。
PFM
まめ@遠藤範子
みんな心の中に「ダイアモンド」を持っています。
177面カットのダイアモンド。
その177の面を一つずつ磨くために、私たちは生まれて死に
そしてまた生まれてくるということを繰り返しているのだと思います。
今回の一生では、どことどこを磨くのかを生まれる前に決めて、
この世に生まれてきました。
一つの面だjけを磨くのか、たくさんの面を磨くのかも決めてきています。
そして、磨くためにもっとも適切な環境も選んで生まれてきています。
だから、いろんなことが人生で起こるのです。
磨くために、自分でいろんなことを自分で起こしているといったほうが
良いかもしれません。
その起こっていることを、自分のきめたダイアモンドの面を
磨くために、自分が起こしていると考えたら、
もっと違うように世界が見えてくるかもしれません。
生まれたときから、困難を持って生れて来た人は、たくさん磨こうと
強い決心をして生まれてきた人たちです。
そんな風に世の中を見ていくと、どの人も一生懸命生きているなぁと
思えてくるのです。
PFM
まめ@遠藤範子