山形市長選挙では自公その他が推薦した候補者が当選して自公政権はホッと一息したとどのメディアも一列横並びで報じていたが、国政で言えば、元々現行の《小選挙区比例代表制》という選挙制度は自公政権と共産党を利するだけの超欺瞞的選挙制度なのであるから、山形市民は阿呆だとか世界を見る視野が欠落しているのだとか貶してみてもあまり意味がない。
《小選挙区制》というのは元来「政権交代を可能にする」為に導入される制度であるから、アメリカのように『拮抗した二大政党』が一つしかない議席の争奪戦を繰り広げるのでなければ実効性がなく無意味だ。日本ではこれに「中選挙区制の名残」のような《比例代表制》を接ぎ木しているから、「単独では政権を獲得も維持も出来ない」今や落ちぶれた自民党+公明党の《自公政権》優位にしか物事は運ばない。他方共産党は他の野党批判に重きを置く政党であるから、《野党勢力の分散化》を導くだけである。「小異を捨てて大同に付け!」と御題目を称える少数野党は今もいるのだろうが、彼らがやっていることはこれと正反対の《小異に徹底的にこだわり大同など捨て去れ!》という自公が喜ぶだけの独りよがりの自慰行為そのものでしかない。
政党別支持率で言うと自民党は23%しかないにも関わらず断トツの一番人気である。これに続くのは4%しかない民主党と公明党なのだから、遥か以前誰かが言っていた「多党化と言ってもそれは野党の多党化である」という指摘そのものの現実がこの国を覆い尽くしているのだ。
かつては政権を担ったこともある民主党が、今や『落ち目の三度笠』で4%台の支持率しかないというのは『文字通りの自業自得』であるが、だからと言ってすぐさま自民支持に回帰する救われない阿呆達も23%しかいないのである。23%の支持率があれば衆議院の60%を越える議席数を確保出来、安倍ポンの如き半分狂った人間を先頭に違憲立法でも何でも出来るのが現行制度である。同じ保守派でも別の政党を選んだ連中も少なくはない。「どうせ自公の補完勢力に過ぎないじゃないか」と腐してもいいのだが、先日の総裁選に対立候補すら立てなかった腑抜け達とは同列には論じられないだろう。
というわけで、おじさんここは『SEALD′sに期待するしかないぜよ♪』である。🚀🐳👽📺😰😍🙌。
《小選挙区制》というのは元来「政権交代を可能にする」為に導入される制度であるから、アメリカのように『拮抗した二大政党』が一つしかない議席の争奪戦を繰り広げるのでなければ実効性がなく無意味だ。日本ではこれに「中選挙区制の名残」のような《比例代表制》を接ぎ木しているから、「単独では政権を獲得も維持も出来ない」今や落ちぶれた自民党+公明党の《自公政権》優位にしか物事は運ばない。他方共産党は他の野党批判に重きを置く政党であるから、《野党勢力の分散化》を導くだけである。「小異を捨てて大同に付け!」と御題目を称える少数野党は今もいるのだろうが、彼らがやっていることはこれと正反対の《小異に徹底的にこだわり大同など捨て去れ!》という自公が喜ぶだけの独りよがりの自慰行為そのものでしかない。
政党別支持率で言うと自民党は23%しかないにも関わらず断トツの一番人気である。これに続くのは4%しかない民主党と公明党なのだから、遥か以前誰かが言っていた「多党化と言ってもそれは野党の多党化である」という指摘そのものの現実がこの国を覆い尽くしているのだ。
かつては政権を担ったこともある民主党が、今や『落ち目の三度笠』で4%台の支持率しかないというのは『文字通りの自業自得』であるが、だからと言ってすぐさま自民支持に回帰する救われない阿呆達も23%しかいないのである。23%の支持率があれば衆議院の60%を越える議席数を確保出来、安倍ポンの如き半分狂った人間を先頭に違憲立法でも何でも出来るのが現行制度である。同じ保守派でも別の政党を選んだ連中も少なくはない。「どうせ自公の補完勢力に過ぎないじゃないか」と腐してもいいのだが、先日の総裁選に対立候補すら立てなかった腑抜け達とは同列には論じられないだろう。
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