⇧新装なった天王寺公園でもやはり《縁台将棋》の花が咲いていた。
 《縁台将棋》というのはしかしどうだろう?
 今は長屋の軒先に縁台と椅子を持ち出して、横丁のオッサン達が《ヘボ将棋》を楽しむといった風景はなかなかお目にかかれない。そういう住宅環境は今日本全国でほぼ失われつつある時代だから、この言葉は最早殆ど《死語》に近い。

 だが大阪はそれでも坂田三吉の時代から将棋は盛んな土地柄である。
 今公園で指している人たちの将棋の実力はと言うと、私と同程度であるとお見受けした。つまり強過ぎもせず弱過ぎもせず、アマチュア初段前後、道場へ通う人達の平均的な棋力である。彼らを取り囲む見物人の皆さんも多分もっと弱い方々だろうが、暇つぶしに、付かず離れずパラパラ寄って集って来る。「見られて嬉しい♪見て楽しい♪」ということだろう、「見世物じゃねえぞ!」などと怒り出す対局者はいないが、私自身はいつもチラッと後方から覗く程度だ。

 私は将棋は若い頃は好きであちこちの道場へも行ったことがあるが、中年になってからは勝ち負けを争うことが億劫になって自然遠退いてしまった。今は自分で指すことはなく、日曜日にNHKの将棋トーナメントを観る程度である。将棋が終われば引き続き囲碁トーナメントも観るが将棋程熱心には見ない。囲碁は東京ではアマ5級位だった。
 因みに『将棋は指す』と言い、『囲碁は打つ』と言う。故・升田幸三九段は対局中『盤も砕けよ!』とばかり盤面に駒を打ちつける代表選手のような方だったが、あるとき「将棋は《指す》ものだから、指で静かに押すようにして駒を移動させるのが正しい指し方だ」とテレビで解説されていた。テレビで観ていると、今のプロ棋士たちは「指で静かに押すように指す」人が多いように思う。あと、昔は駒それぞれを升目の中央に置くのが普通だったが、今のプロ棋士達はその殆どが各駒を升目の下の線にピッタリ重ね合わせるように配置する。いつからそうなったのか知らないがその方が駒の座りが良く、安定感が増すということらしい。ただ羽生さんなどはピッタリではなく、枠の下のラインから気持ち浮かせて駒を配置している。

 ところで《段位》というのはプロとアマでは大差があって、アマ四~六段の高段者でもプロになろうとしたら6級から始めるのが普通だ。それもプロ棋士の門下生にならないといけない。しかもいきなりプロになれるわけではない。最初は《奨励会》に入って実力を付け(⇦但し奨励会員は無給である)最高峰の《奨励会三段リーグ》で優勝して初めてプロ四段になれるのである。

 四段からは給料が出るが、成績が悪いとプロ失格になる。というかプロにも各新聞社主催の新聞棋戦に出場権のある《トーナメントプロ》とアマチュアに将棋を教えるだけの《レッスンプロ》がいて、一旦プロになっても弱かったらレッスンプロに格下げになってしまうわけである。 プロ四段になるには年齢制限があって、それに引っ掛かってプロの道を断念せざるを得ない人もいる。このように正しく実力が全ての世界であるが、小学生くらいからプロに認められて入門する子供達も多い。

 ・・・というわけで趣味で指しているアマチュアはお気楽なものであるが、将棋道場へ行けば料金を取られる。が、公園は只だ。あそ。😨😣😅😓😷👙🍰👻🚀📺。