パチンコで換金、警察庁「存ぜぬ」 課税狙う議員は反発
秋山惣一郎
朝日新聞デジタル:2014年8月25日21時42分

 日本オリジナルの大衆娯楽・パチンコに換金行為はあるのか、ないのか。そんな議論が今、政治の世界で熱く交わされている。

パチンコと警察の関係は? POKKA吉田さんに聞く

 「パチンコで換金が行われているなど、まったく存じあげないことでございまして」と警察庁の担当官。「建前論はやめましょう」。うんざり顔の議員ら。

 高村正彦・副総裁、野田聖子・総務会長、野田毅・税調会長ら大物議員が発起人に名を連ねる自民党の「時代に適した風営法を求める会」で、そんな堂々巡りが続いている。

 2月に設立された議連の目的はパチンコ課税。安倍政権が進める法人税減税の減収分の一部をパチンコで補おうというもくろみだ。客の換金額に1%をかけて年2千億円の税収を見込む。

 そのためには、パチンコの出玉は換金しないという建前を崩す必要がある。出玉と交換されるのはボールペンやライター石、金地金などの「特殊景品」。これを客が店と無関係の交換所に持ち込んで勝手に換金しているだけ。店は換金に関与していないのだからパチンコは「賭博」でなく「遊技」であり「直ちに違法ではない」というのが警察庁の理屈だ。パチンコに換金はないのだから換金額に課税するという議論は成り立たないというわけだ。

 しかしパチンコの出玉が換金されることを知らない日本人は少ないだろう。議連側は「実態に即して、分かりにくい現行方式の整理を」と要望するが、警察庁の担当官は「そういうこと(換金)もあるという話は聞いております」と官僚答弁に徹し、議員らをいらだたせた。

 警察庁にも白々しい答弁に徹せざるを得ない事情がある。店と無関係な交換所を通じて換金する現在のシステムは「3店交換方式」と呼ばれ、1960年代に大阪で始まったとされる。当時、客が出玉と交換したたばこやお菓子を暴力団員が現金化していた。この交換業務は戦争遺族に任せ、暴力団排除と戦争遺族の雇用確保を両立する公益事業という側面が強かった。以後、警察庁は「直ちに違法ではない」として黙認してきた。

 だが警察はパチンコ以外の業種には同様の方式を絶対に認めない。「どんな理屈をつけても、換金するなら賭博とみなす」のが正論だからだ。換金を前提とした議連側の論理だとパチンコの実態が賭博だと認めることになる。公益目的で始まったとはいえ、全国1万2千店もある民間賭博場を50年も黙認してきたのか、と警察は不作為責任を問われかねない。

 秋の臨時国会で見えてくるカジノ解禁への動きも影を落とす。カジノ推進法案は不正や犯罪防止、依存症対策など運営に厳しい規制や制約を課す。カジノ経営に外資が乗り込んでくれば、カジノほどの制約を受けないパチンコとの整合性を問われるのは間違いない。

 フリーライターのPOKKA吉田さんは「警察とパチンコ業界はずぶずぶと見られがちだが、実際は『支配と被支配』の関係だ。今度の議論でそれが変わるのか。また、本気で税金を取りにきた政治と業界の関係はどうなるのか、注目に値する」と話す。

 安倍晋三首相が前のめりな法人税減税は来年度から始まる見通し。議連ではこれまでこの問題は3回議論されているが、「換金はある」「いや、ない」では財源確保の議論は進まない。先月24日の会合で、ついに議連側は警察庁に通告した。「少額なら換金可能な遊技があってもいいだろう。そこは政治が整理する。警察も知恵を絞り、法整備に協力しろ」。次の会合は9月に開かれる予定だ。(秋山惣一郎)

536万人「ギャンブル衝動抑えられず」 厚労省研究班(8/21)
大阪都に万博・カジノ誘致 大阪維新素案、財源示さず(8/16)

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 以上引用終わり。
 ☆パチンコの画像は⇒こちらに沢山ある。
 国会山の猿たちは国税を湯水のように使ってまだそんな低レベルで不毛な議論をしているのかと、こちらはただただ呆れ返ってしまうだけだが、しかし警察官僚らがそこまで開き直っているとは私も知らなかった。これは所詮は彼らも単なる「事なかれ主義」でなおかつ「役人根性丸出し」の恥知らずな一利権集団に過ぎないという実態を自己暴露するものだ。

 ☆政財官三位一体の「対米追随主義」が戦後日本の基本戦略であるが、これに「第四権」たるメディアも付和雷同してこの国の思想潮流をリード(←ミスリードそのものだが!)している。
 敗戦を終戦と言い換え、原爆慰霊碑には「過ちを繰り返しませぬから」と書き込んで自己懺悔する。これが言うところの日本型蒙昧主義(ジャパニーズ・オブスキュランティズム)である。これは「愚民化政治」の一手法であるとされるのが一般的分類だ。一般民衆にあまり賢くなられては施政の障碍となるという「上から目線」のハイ・ガヴァメント(!)なのだ。
 物事全てを理知的合理的判断から遠ざけ、その場その場の情緒だけに依拠して済ませるのは安倍が得意の安易で愚鈍な政治手法の一つだが、これに溺れているのは何も安倍ポン一人ではない。

 また吉本隆明を引き合いに出すが、晩年の吉本は基本「科学者を信ずる」という立場を貫いていた。私はこれには異議がある。「役人化した科学者」なんぞは屁の突っ張りにもならない有害無益の存在だということなら、東電の連中を見ていれば誰の目にも明らかである。その場その場の思いつきで汚染処理法を決め、しかもその全てが空振りの大失敗に終わった。どうしても「電力需要」を(抑えるのではなく!)維持拡大したいという手前勝手な欲求だけを持って「氷の壁」などというわけわからんものの工事を強行し、これに反対した部外者らの予言した通り「やっぱりコンクリートで固めた方が良かったかな・・」などと言い出す始末だ。自己保身と自分の「お仕事」確保と組織維持だけしか頭にないような連中がいったい「科学者」の名に値するのか。

 「役人根性」という点で言えば理研の利権を担う野依良治とかいう理事長も同罪だ。彼も自己保身優先人間の頭目の一人だろう。そうじゃないと言うのなら、なんで副所長の命一つ守れないのか。そうかと思えば福島の避難民の或る方がノイローゼになって自殺した件でその責任を問われ訴えられた「役人」の側は、そんなものは「個人の脆弱性」に起因するものだ。他のみんなは逆境にもめげず頑張っているじゃないか。我々は訴えられるようなことはしていないと抗弁しているそうだ。訴訟と言えば金絡みだ。仮に金を払ったからと言って亡くなられた方が生き返って来るわけではないが、黙って避難所生活を甘受しているだけでは余りにも悔しいから訴えたのだと、残された旦那さんは語っていた。「政財官+報道」がこの国を滅ぼさないと、いったい誰が保証出来るのかということだ。

cf.原発避難で自殺、東電に4900万円賠償命令 福島地裁が初判決
MSN産経ニュース:2014.8.26 13:56 [民事訴訟]

福島地裁の判決を受け、「勝訴」の垂れ幕を掲げる原告側弁護士ら=26日午後1時18分

 平成23年7月、東京電力福島第1原発事故で避難していた福島県川俣町山木屋地区の渡辺はま子さん=当時(58)=が自殺したのは「避難生活で精神的に追い詰められたためだ」として、遺族が東電に計約9100万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、福島地裁(潮見直之裁判長)は26日、東電に約4900万円の賠償を命じた。

 東電によると、原発事故が原因で自殺したとして東電に賠償を求めた訴訟で、初の判決。夫の幹夫さん(64)ら4人が訴えた。

 訴状によると、23年3月の原発事故で、山木屋地区は4月、政府による計画的避難区域になった。はま子さんは6月、幹夫さんら家族とともに福島市内のアパートに避難。一時帰宅していた7月、焼身自殺した。

 避難後「生きているうちに戻れるだろうか」などと話すようになったといい、原告側は「自宅に戻る見込みが立たず、精神状態が悪化した」などと主張。東電は「事故前から睡眠障害で薬を飲んでおり、事故以外の原因を考慮するべきだ」などとして争っていた。


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 あらら、パチンコのお話やろか?♪・・て思うたらやっぱりちょっと違ったな。w
 ま、ええわ。引用おしまいですっちゃ。