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重要な城

桓騎たちは宜安城を攻める数刻前、追っ手を撒くため川に入り逃げる。

川下に泳いで追跡をかわす作戦だ。李牧は桓騎を見失い、対岸の足跡を追うも宜安城が秦軍に落ちたとの報告を受ける。

袁環将軍は激怒し、李牧は桓騎が別動隊を使っていた可能性を考え、宜安城の状況を確認する指示を出す。

一方、桓騎は宜安城に入城し、信たちと合流。

作戦会議で現状を説明する貂。趙軍の規模によるが籠城が可能かどうかが焦点となる。

桓騎が住民数を尋ね、摩論は人質を交渉に使う提案をするが、砂鬼は住民が少ないと報告。

貂は赤麗が重要だと指摘し、趙軍の包囲を分散させる必要があると語る。

前夜、壁は包囲を抜けて赤麗に到着。

兵力が予想以上に残っており、士気を高めるために檄を飛ばす。

桓騎が生きていると信じ、士気が上がるも、朝には赤麗の兵はほぼ全滅する。

 

趙人の結束

壁の檄で意気軒高になった秦兵たちは、赤麗城を守り抜こうと配置につくが、北東部軍の陸巴が突然倒れる。

城内で次々と兵士が命を落とし、壁は毒が原因だと判断する。

壁も含め、まだ無事だった者たちも次第に倒れていく。

その中、赤麗の長老たちが現れ、彼らが井戸に毒を仕込んだことを明かす。

李牧の戦略で住民は避難し、秦軍を毒で一網打尽にする計画だった。

長老は桓騎の蛮行に対する怒りを語り、趙全土がどんな手段でも桓騎を阻止すると決意を示す。壁は何も言えず倒れる。

翌朝、趙兵が赤麗に入り、毒で倒れた秦兵たちを見て長老たちを労う。

生き残りを収容所へ連れて行くよう指示する。

その頃、李牧本陣にも赤麗の急報が届き、李牧は全軍に宜安への出陣を命じる。

 

桓騎の首

赤麗が趙に落とされたことで、李牧軍が大挙して宜安城に向かうことが判明する。

信たちは援軍を求めつつ戦うしか希望はない。

秦国王都咸陽では、昌文君たちが情報の途絶に戸惑う。

政は李牧の策略による情報封鎖を警戒し、昌平君も李牧を過小評価していたと反省する。

援軍を送るにも10万規模が必要であり、王翦に伝令を送ることが決定される。

閼与では桓騎軍の動向が掴めず、王翦は倉央の提案を拒否し、まずは「狼孟」と「番吾」を確認する必要があると語る。

趙北部の策が想像以上に深いことを理解する。

李牧は宜安へ向かいながら、桓騎の残虐性が趙を結束させたと語る。

彼は桓騎を討つことで趙の勢いを取り戻す決意を固める。

趙軍は宜安城の包囲を完了し、李牧は桓騎の首を狙う戦いを始める。

 

城壁の上

大軍勢が押し寄せる中、宜安城の上で桓騎は信達らに、本土からの援軍は来ないと告げる。

城内には住民全員が確認され、人質はいないことが分かる。

しかし、桓騎の残されたメッセージが語る「肥下の惨劇を史に刻む」という言葉に、配下は恐怖を覚える。

桓騎が狙うのは肥下城の十万の人質だということが明らかになり、李牧は追跡を開始する。

 

結末の意味

桓騎軍が東の肥下城へ向かったことが判明し、趙軍もそれに続く。

しかし、肥下城には火が上がり、趙軍の救援が間に合わない。

李牧は肥下の民を守るために籠城を選択するか、それとも桓騎を追って虐殺を阻止しようとするかで葛藤する。

しかし、李牧は肥下の民を犠牲にすることなく、桓騎を討つことで趙国の信頼を保ち、戦いに勝つ道を模索する。

しかし、その決断が李牧を待ち受ける恐るべき結末へと導くことを彼はまだ知らない。

 

最後の博打

袁環率いる宜安軍が肥下城へ急ぐ途中、誤報で火災が肥下城ではなく手前の森であることが判明。

李牧は桓騎軍の奇襲による包囲に直面し、自らも剣を抜いて部下に檄を飛ばす。

しかし、桓騎の奇襲により、李牧の本隊は包囲されてしまう。

摩論の予測通り、失敗すれば全滅する危険が迫る中、桓騎との最終決戦が始まる。

 

李牧の盾

李牧軍が肥下城へ向かう途中、桓騎軍が待ち伏せし急襲。

李牧は檄を飛ばし対応するが、桓騎の強力な武将であるゼノウと朱摩一家の攻撃に包囲される。

しかし、カイネ率いるカイネ隊が李牧を救出し、桓騎兵と戦う。

周囲の軍が李牧救援に動き、飛信隊と楽華が趙軍の援軍を横撃。

李牧は奇襲を受けたが、周囲の軍の迅速な対応とカイネの奮戦により窮地を脱する。

李牧が朱摩との死闘からカイネを守るが、黒桜の矢が李牧に狙いをつけられる。