行く前から予想はしていたが、ボランティアに対する認識が変わった。一番大きかったのは、ボランティアというのは一時的ではなかったという事。活動自体はその日一日であっても、想いというのはその後ずっと残るから。それを心の支えにして生きていける人もいる。一度の出会いが生涯の宝物になることもある。 “ボランティアメンバーと依頼主”ではなく、“家族”のように心情を交流した日としてお互いの心に残るのだ。一日目に作業した、一人暮らしのおばあちゃんが言ってくださった、
「こうして来てくれなければ、明日の事など考えられなかったわ」という一言に重みを感じた。この時に、「…あぁ、ボランティアというのは具体的な泥出しなどの作業それ自体も大事だけれども、話を聞いてうなずいて、反応して時には笑い合う、心の交流がとても大切なんだな。」と、思っていたよりも内的なケアに繋がっている事を知りました。また、神様の心情を感じました。私たちが奉仕をして、それに対して喜んでくださる被災者の方々を見て、本当に嬉しかったから。それまでは、宮城県という、その地を踏んだ事もない地域に住んでいた、知る由もない方々。その一人一人の笑顔一つが、今は果てしなく嬉しく思える。出会ったご家族、共に活動したメンバー、一日一日を共に働いたボランティア仲間達を親の目線で愛したなぁ、と。この感覚を持てたのは今回とても大きかった。今後に必ず影 響してくる内容だと思う。あとは世の中に、数多くの為生き人がいることを現場で直接知れたのも良かった。そういう人達から「どこの団体?」と聞かれて名前を証せたこと、また、受け
入れられたこと。
「これから、統一食口として本格的に世の中に出て行くんだなぁ、私は。」と気が引き締まった。現実に非原理の方に「統一さん」と呼ばれる事はすごく嬉しい体験だった。天国は確実に近づいていると思えた。また、他の様々な宗教の方々と共に働いて、心の交流が出来たのもすごく意義深かった。自分が食口としてこの場にいる事が間違いなく昨日よりも1ミリでも、統一運動が前進していると思えたから。この7日間で感じた様々な心情を忘れないように大切にしたい。全てを失って、それでも希望を見出して生きていこうとする現地の人々から多くのことを学ばされた。人は万物を手放すと自由になるなぁ、と感じた。モノが溢れている街にいると、万物に逆主管されて不自由な人間ばかりを見る。自分もひどく悔しいけど、そういう人間の一人だ。でも、今まではそのことに気付かなかった。そして、被災地から戻ってきた今は気付いた。この経験をこれから先に繋げて発展していけるかどうかは自分次第。
「環境に引っ張られていかずに、環境を私が引っ張っていかなければならない。」というアボジのみ言が最後に残った。感謝。