オッス!


御先祖様ゆかりの土地を巡る旅日記の3回目です!



前回の石上神宮を後にして僕たちは奈良から北上して、京都の山科に向かいました!


ここには宮道神社という神社があって、蜷川氏の祖である宮道弥益(みやじのいやます)という37代前の御先祖様が祀られているんです!




















神社で手を合わせてから、神社の隣にある勧修寺(かじゅうじ)にお参りしました!





この勧修寺にまつわる話が今昔物語にあります。
 

藤原高藤(ふじわらのたかふじ)という若者が狩りに出て急な雨にみまわれ、宮道弥益の邸宅に宿を借ります。


弥益には列子(たまこ・つらこ)という娘がいました。


高藤と列子は恋に落ち一夜を共にします。


高藤は結婚の約束をして列子と別れるんですが、家に帰った高藤は父に遠出を禁じられてしまい、二人は再会を果たせずに6年の歳月が流れます。


やっと列子のもとを訪ねることができた高藤は列子が自分の娘を産んでいたことを知り、列子と結婚して娘を育てました。


二人の娘、胤子(たねこ)は成長して宇多天皇の女御となり醍醐天皇を生みました。


後に醍醐天皇が、母の胤子の菩提を弔うために宮道弥益の邸宅を寺としたのが、勧修寺の始まり


といわれているそうです。


高藤と列子の男子、定方(さだかた)の子孫は、有名な紫式部も出た藤原氏勧修寺流としてとても栄えます。




飛鳥時代に蘇我氏と争った物部氏と一緒に日本古来の神を祀るべきだと主張したのが中臣(なかとみ)氏でした。


宮道氏は物部氏の子孫で、藤原氏は中臣氏の子孫にあたります。


この二つの氏族の子孫が運命的に出会って、新しい歴史が始まったのが、この場所だそうです。


いや~、歴史ってすごいですよね~ゲラゲラアップ




宮道弥益の邸宅に建てられた勧修寺はゆったりと時間が流れているような、落ち着いてて、自然も豊かで素晴らしいお寺ですよ!

















いや~、宮道神社やご先祖様の家である勧修寺に実際にやって来て足を踏み入れてみると、


ご先祖様に出会えたような、何か色々なものを感じれました!



ではまた次回です。


武蔵