オッス!


御先祖様ゆかりの土地を巡る旅日記。


2回目は、物部氏の拠点、八尾市渋川から国道25号線を東に進んだ奈良の布留山の北西にある石上神宮(いそのかみじんぐう)です。


武門の棟梁たる物部氏の総氏神として篤く信仰されてきた石上神宮の主祭神は
国譲り神話において武甕雷神(たけみかづちのかみ)が葦原中国(とよあしはらのなかつくに)を平定するときに用いた神剣「韴霊(ふつのみたま)」に宿る御霊威の「布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)」
物部氏の祖神、饒速日命(にぎはやひのみこと)が天津神(あまつかみ)より授けられた「天璽十種瑞宝(あまつしるしとくさのみづのたから)」に宿る御霊威の「布留御魂大神(ふるのみたまのおおかみ)」

素戔嗚尊(すさのおのみこと)が八岐大蛇(やまたのおろち)を退治した「天十握剣(あめのとつかのつるぎ)」に宿る御霊威の「布都斯魂大神(ふつしみたまのおおかみ)」

の三柱の神様です。




神武天皇は、九州を出て和歌山の熊野から上陸した際、窮地に陥ります。


しかし神剣「韴霊」を授けられ、その霊力によって大和を平定することができ、橿原の宮で初代の天皇に即位したといわれています。


この神剣は、神武天皇の命によって、物部氏の祖、宇摩志麻治命(うましまじのみこと)が宮中に祀っていました。


時は流れて10代崇神天皇7年、同じく物部氏の祖である伊香色雄命(いかがしこおのみこと)によって「韴霊」と「天璽十種瑞宝」が、石上布留高庭の地に遷し祀られたことが、石上神宮の起源といわれています。
 

また11代垂仁天皇の皇子、五十瓊敷命(いにしきのみこと)が菟砥川上宮(うとのかわかみのみや)で作った剣、千口を石上神宮に納め、妹の大中姫命(おおなかつひめ)に管理をまかせようとしましたが、大中姫命は物部十千根(もののべのとおちね)に託しました。


石上神宮は、物部氏が神剣、神宝を祀る地としてだけでなく、武器庫としての役割も担う重要な場所になったようです。


日本が、形づくられていく上で、大きな力を揮われてきた神様に手を合わせ、晴れやかな気持ちになって次の場所を目指しました!





今回は難しい名前がたくさん出てきたでしょショック!


後輩に分かりやすく説明してもらわなければ、理解するのに大変だったと思いますあせるあせる


石上神宮のしおりも参考にさせて頂きましたグッド!


また次回ですパー


武蔵