忘れる能力と忘れない美徳 | "学者への道"

"学者への道"

ドイツ研究生活を舞台にした生物学者の奮闘記。"学者への道" in Arizona、"学者への道" in California Berkeleyの続編ブログです。

一時帰国で日本に二週間帰り、

やり残した仕事を終わらせようと漫画喫茶でネットを使おうと立ち寄った。

すると東京都の条例で、名前と住所が載っている日本の運転免許証を求められた。

外国の免許しか持っていないと伝えると、パスポートを見せろと言われ、

パソコンにスキャンした写真ならあると言うと、印刷してこいと言われ、

猛暑の中、ヨドバシまでUSBを買いに行き、コンビニでパスポートを印刷し、

汗だくになりながらようやくネットの使用を許可された。



留学7年目を迎えると日本の法律も変わり、

外国人扱いされるのかと人のせいにしていると、

日本を、日本語を忘れている自分にも気づいた。



街や電車内で人にぶつかると無意識に「Oh, I’m sorry」と言ってしまう自分、

母親を助手席に乗せた一つ目の曲がり角で右車線に飛び出し叫ばれる自分、

歯医者の待合室のスリッパに気づかず土足で診察台に上がり怒られる自分、

日本語の研究発表で英語の専門用語を思うように日本語で話せない自分、

三越で店内に出入りする従業員用のドアの前で、従業員が店内のフロアに向かって自然にペコリと一礼して出入りしているのを見て、感動しすぎて、素晴らしいと声をかけてしまう自分。笑



この一時帰国でやらかしてしまった事件の一部は、留学生ならではのあるあるである。(でもスリッパは本当にわかりづらかった!)

なぜ人は忘れるのか?

親友の結婚式で日本に一時帰国した思い出と共に、

今日は「忘れる」ということについて考えてみたい。






忘れるのも立派な能力

最近出会った大事な人の名前、テストのために覚えたい単語はすぐに忘れるのに、

気に入らないやつの顔、昔よく遊んだおもちゃの名前はなぜかよく覚えている。


誰もがこんな経験をしたことがあるのではないだろうか。

では、なぜそんなことが起こるのか?



脳科学は専門ではないので詳しいことはよくわからないが、

ある脳科学者のブログによると、人はほぼ90%のことを一週間で忘れるらしい。

脳は大事なものだけを記憶して、無駄なものは忘れたほうが生きる上で大事である、と言われれば納得出来る。

例えば、カフェで勉強をしているとする。コーヒーの匂い、BGMに雑音、視界の隅を横切る人、いろいろな刺激が脳に伝達されているはずなのに勉強に集中している。それはニューロンを伝わる刺激を脳が無視している、忘れているためだ。つまり脳は常に、大事な情報に集中して、無駄な情報を忘れているのだ。



では、なぜ大事でもないやつの顔を覚えているのか?

それは進化学的に説明できる。

記憶に関する「大事」の定義はおそらく進化学的な「大事」に関係しているはず。

例えば、我々は祖先からずっと群れ社会で、個体識別する能力はとても大事である。ヒトは顔で個体識別しているので、顔を覚える必要がある。顔を間違えて違う群れに帰ったり、我が子を間違えたり、ボスとザコを間違えたりすることは、生存、繁殖に影響するので、顔を記憶することは進化学的にとても大事だと考えられる。

だからどうでもいいやつの顔も、「どっかで見たことある」って程度に覚えているし、頻繁に会う人の名前をド忘れしても顔はド忘れしない。



ではなぜ顔ではない、昔よく遊んだおもちゃの名前も忘れないのか?

それはおそらく感情だ。

例えば、ある情報を見たり、匂ったり、聞いたりすると、すごく良いこと(美味しいものが食べられる)、悪いこと(大怪我をする)が起きたとする。このような生存、繁殖に影響する大事な情報をすぐに忘れる個体と忘れない個体がいれば、もちろん忘れない個体がより生き延びやすい。だから良くも悪くも感情の伴う情報は進化学的に大事だと考えられる。

だから熱中して遊んだおもちゃの名前、すごく大っ嫌いな人の名前、すごく大好きな人の名前も、その感情が強ければ強いほど忘れにくいのだろう。

感情のこもった事柄は何度も思い出すので、この脳内での反復も忘れにくい原因の一つかもしれない。

忘れるというと何かネガティブな印象を受けるが、

忘れることは進化学的に重要な能力と言えるだろう。



スーパーおばあちゃんから学ぶ忘れない秘訣

忘れる能力を科学的に理解したふりをして、

自分が日本語を忘れている言い訳にしているが、

忘れたくない、忘れちゃいけないことだって存在する。

特に加齢と記憶力というのは誰もがいつかは気になるところだろう。



自分には79歳の自慢の祖母(しーちゃん、写真中央)がいる。



運転免許更新の痴呆の記憶力テストで、

16枚の絵が出題され、そのうち普通の人は3、4枚、優秀な人で7枚ほど記憶できるらしいのだが、

しーちゃんは16枚中15枚記憶して試験官に驚かれたらしい、スーパーおばあちゃんである。



元ソフトボールのピッチャーで、

おそらく今でも縄跳びの二重跳びができ、

初代ゲームボーイが出た頃からのゲーム好きで、

ドクターマリオをやらせたら神レベル、

Nintendo DSからはじき出される脳年齢はなんと20歳、

ほぼ毎晩、WiiやGame Cubeのパズルゲームでおばと対戦している。

携帯も使えるし、タバコも吸うし、服装までかっこいい。



若い脳を保つ秘訣はなんなのか?

それは新しいことを楽しめる気持ちだと思う。

例えば、自分が一時帰国中は夜に家族でUNOやトランプをするのだが、

新しい特別ルールを導入しても、しーちゃんはその変化を拒まないで楽しめる。

高校生や大学生でさえ、自分が遊び慣れた地方ルールを変えられることを拒む人がいるが、

何事にもオープンに受け入れ、たとえ間違えても笑い飛ばす



子供の頃に戦争を経験し、ひもじい思いや苦労をたくさんしてきているしーちゃん。

しかし、少なくとも孫の前ではいつも笑顔どころか、

毎晩お腹がよじれるほど大声で笑っている。



加齢に伴う脳機能の衰退は避けることはできない。

でもその速度を緩めることはできるはず。

いろいろな記憶法や脳トレと言われる商品があるが、

新しいことを楽しみ、失敗を笑い飛ばすマインドセットこそ、

しーちゃんの忘れない秘訣、脳を若く保つ秘訣なのではないかと改めて感じた。



今回の一時帰国では東京大学と日本大学で研究発表をさせてもらったのだが、

母校である日本大学の講演では、家族としーちゃんまでかけつけてくれて、

自分を育ててくれた家族と祖母の前で自分の情熱を語るという貴重な体験もすることができた。



行きつけの医者に自分のことを自慢してくれているらしく、

自分もブログで祖母を自慢しているのだから世話ない。

いつまでも元気なスーパーおばあちゃんでいてほしい。



忘れられない美徳

忘れたくない!

と頑張っても忘れてしまうことなんて、

少なくとも進化学的には大して大事なことではない。

脳では無駄な情報として処理されているにすぎない。



本当に大事なことは、

忘れられないことである。




高校テニス部の仲間で集まれば、

毎年同じテニス部事件簿の話題を話しているのに、これがなぜか毎年同じように笑える。



それはきっと部活仲間にとって本当に大事な事件たちなのかも。



大学の研究室で集まれば、

当時の指導教官と後輩たちを交えて飲みに行くと、

毎年同じように先生がいかに厳しかったかを語るが、

それはきっと自分にとって本当に大事なエピソードなのかも。



6年ぶりにいとこが勢揃いした親戚で集まれば、



これまた毎年同じように幼いころの恥ずかしい話で盛り上がる。



それはきっと親戚メンバーにとって本当に大事な恥ずかしい話なのかも。



クソ暑いのに昔よく昆虫採集のために通った里山を一人で歩くと、

草むらを踏みしめるたびに跳びあがる生き物の大きさと跳び方で昆虫の種類を大まかに分類できる能力を忘れていなかった!笑



それはきっと昆虫少年だった自分にとって大事な感覚なのかも。



久々に家族4人で集まれば、

テニス、ゴルフで真剣勝負、



これでもかというほどお腹いっぱい食べて、

みんなで大爆笑。



留学して辛い時に思い浮かぶのがこの家族の笑顔ということは、

それはきっと自分にとって本当に大事な家族なのだろう。



良くも悪くも、

忘れられない人、

忘れられないモノ、

には、それだけの感情が入っているという証拠。



思い出は美化されるもので、

過去より未来に目を向けるべきことは多いけど、

忘れられない人やモノがあったからこそ、

今の自分も、未来の自分もあるわけで、

本当に感謝すべきものは忘れらない人やモノたちだな、

と猛暑の日本を飛び立つ飛行機の中で考えていた。



毎日を忘れられない日にしてやる!ぐらいの気合で、

残りの夏休みを充実させて、秋学期に望みたい!