人間っていいな | "学者への道" in Arizona

人間っていいな

今週は春休みでした!

遊びに研究に欲張りすぎて、

気づけば全然ゆっくりできませんでした(^▽^;)



オーブンでBBQパーティーをしたら、部屋中が煙で覆われ、みんなで火災報知器を破壊したり、

友達のサプライズパーティーに乗り込むため、1ドルショップで全身仮装してみたり、

放置していた研究論文にとりかかったら、自分で昔書いた英語が理解できなかったり、

寝不足で一日ケージ交換したら、ネズミを交配させるのに、オスとオスを交配させようとしていて先輩に怒られたり(笑)

いろいろありましたが、今日は春休みメインイベントを二つご紹介。



3月11日は大震災から二年ということで、

ツーソンの日本料理レストランで行われた、

震災記念コンサートに行ってきました。

"学者への道" in Arizona

ピアノの演奏を聞きながら、みんなでスライドショーを見たんですが、

未来に目を向けている現地の子供たちのメッセージを聞くと、

日本って思ってるより強い

って逆に励まされました。



もう一つスライドを見て思ったことは、

震災直後、世界中から日本のためにかけつけた人の顔が必死だったってこと。

普段、敵だと言われるような国が震災時に日本に手を貸すのは外交上の戦略として当然かもしれない。

普段、味方と言われるような国ならなおさら震災時に日本に手を貸すのは当然かもしれない。

たとえ国のレベルで当然の行動でも、実際にそれを行っているのは個人。



大切な家族を母国に残して、放射能のリスクをかえりみず、被災地に向かう決意をした人間の目は、やらされているのではなく、本物だった。

それを感謝する人の目も本物だった。

震災から二年経った今も、被災地で手助けする人がいるってことだけで、

この世界も捨てたものじゃないと思えますね。



仙台に住んでる友達に現状を聞くと、

特に沿岸部はまだまだ仮設住宅で住んでいる人は多いし、

宮城県だけでも行方不明者はまだ数百人いるんだとか。

この友達は旅行会社に勤めてるんだけど、

「気晴らしに」「子供のために」とか、

明るい考えで旅行する人も増えて来てると言ってました。



どんなに苦しい時でも礼儀を忘れない日本、

結構クールなくせに意外とアツい日本、

被災地のために頑張る人たちを見ていると、

日本人として誇りに思います。

がんばれ日本。




そして、このピアノコンサートの明くる日、

ツーソン日本人新メンバーも増えて歓迎会と、

自衛隊のパイロット一人が去るのでお別れ会を兼ねて、

うちでディナーパーティーをやりました。

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そこで知り合った一人の料理人(エンターテーナー)をご紹介。

池田憲吾さん。

日本の寿司屋で生まれ、10代でアメリカに渡り、ハリウッドや数々の有名店で働き、

今はツーソンのお金持ちを相手に、ホームパーティーに出向き、その家のキッチンを使って、料理を作る、プライベートレストランをやっているすごい人です。



そんなすごい料理人と、衆議院で働くKさんと、ダンディーな男3人(自分を含めてますw)で、

我が家で朝の4時まで語り明かしたので、

学校では教えてくれない人生論をまとめてみます。



1。プロの料理人の哲学

憲吾さんに料理人ですか?と聞くと、

料理人じゃないって答える。

それは、料理はパッケージのようなもので、

シェフの他に、マネージャー、ウェーター、エンターテーナー、食べてくれるお客さんが必要で、

他にも店の間取り、料理のタイミング、彩り、トークの内容、チームプレー、お客さんの雰囲気など、

パッケージすべてが大事だから、

これらをほぼ一人ですべてこなす憲吾さんにとって、

シェフなんておいしい料理をつくる一つの要因でしかないという。



例えば、料理のネーミングの気遣い。

自分はキュピーマヨネーズが大好きで、アメリカ人にもアメリカのマヨネーズの違いをわかってもらいたいと、よくキューピーを宣伝してますがなかなか食べてもらえない。

それはステータスを気にするアメリカ人にとってはマヨネーズは下品なジャンクフード。本当はその味は好きなのに。

だから憲吾さんはマヨネーズをつかってるのにクリームチリと名前をつけ、相手のプライドを傷つけない。



他にもお金持ちのアメリカ人や自然食品愛好家には、ベジタリアンやグルテンフリーの人(小麦などに含まれるグルテンを食べない)が結構多い。

これは日本食を作る上で一苦労。ダシには魚を使ってないことをアピールすることで、気遣いをアピールしたり。グルテンフリーの醤油はまずいからと、日本食なのに醤油はつかわないとか。

なすの田楽なんかしっかり揚げてるくせに、ちょっとオーブンで焼いて、ベイクドって名前で出すらしい(笑)ディープフライって言ったらたしかにジャンクみたいだもんね。



日本の古い職人みたいに、無口でただおいしい日本食を出しても、世界じゃ通用しない。

だって、文化が違う人たちを相手にしているわけだから、時にはプライドを捨て、

自分がおいしいと思う料理を出すのではなく、

食べてる人が一番おいしいと思う料理、環境を作り、

なによりも食べてる人を喜ばせることを第一に考える。

それが憲吾流のプロ魂。



2。夢の叶え方

18歳でアメリカに渡ろうと憲吾さんを突き動かしたのは、

「かっこよさ」

ハリウッドで華やかに料理を振る舞う料理人はかっこいい、

そんなミーハーな動機でも夢をスタートさせてもいいということ。



皿洗いから、ウェーターから、フロアーマネージャーにまで上り詰める成功した経験もあれば、

26歳で店を開き、店員30人以上を動かして、必死に働いても、赤字になり失敗した経験もある。

でもその経験が糧となり、今の料理哲学に辿りついて、

プライベートレストランの新境地を開いて活躍していて、

必死に生きていれば、回り道や無駄な経験なんてないんだって思い知らされる。



憲吾さんは日本を出たとき、プライベートレストランをやってやろうとは思っていなかったはず。いろんな経験をする上で価値観が変わり、その変化を恐れず受け入れた結果、今一番やりたいことをできている。

自分も日本を出たとき、ハツカネズミの腸内細菌の研究をやってやろうとは夢にも思ってなかった。いろんな経験をした上でネズミと腸内細菌の関係に一番可能性を感じて、未知のプログラミングやゲノム学に立ち向かっている結果、今一番やりたいことができている。



おおきなビジョンがあれば、それはもう既に夢と呼んでもよくて、

大事なのはそれを突き詰めて行く覚悟があるかということ。

憲吾さんや自分のように一度チャレンジな環境に飛び込むと、

いやでも夢への覚悟が決まるので、それも一つの手です。




3。パイオニアの宿命

もちろん、人と違うことをすると、コストもある。

ほぼ一人でレストランのすべてをこなす憲吾さんは、一流の料理人、一流のウェーター、一流のマネージャーと比べると、一つ一つのことでは一番になれない、中途半端で不安になると言っていた。

実は異なる学問分野をつなぐ自分の研究も全く一緒で、一流の微生物学者、一流の進化遺伝学者、一流の生態学者と比べると、一つ一つの専門知識では勝てるわけはなく、自分はどれも中途半端


でも、

下済み時代にレストランのあらゆる経験をして、新しい側面から「料理」を考えられることは武器になる。

異なる分野のアイディアをつなげて、新しい側面から「科学」を考えられることは武器になる。



もちろん新しいアイディアは、古いアイディアを変えることもあるから、

なかなか受け入れられなかったり、嫌われたりすることもある。

でもそういう常識外れの人間が、世界を変えるんだって信じてる。



昔の哲学者は、医者であり、生物学者であり、政治家であり、画家であるなんてことも珍しくなかったんだけど、それから学問は細分化され、専門分野ごとに独自の発展をとげた。

そして今、細分化された分野をつなぐintegrativeな考え方や人材の重要性がすでに説かれてる。

異なる分野で自分と似た考え方を持ち、すでに活躍している人と出会えたことはすごく自信になりました。




4。人生は本である

これは憲吾さんの言葉で、

自分が主役であり自分が読者なんだとか。



これはポジティブ思考の極地で、

どんなに酷い目にあっても、

どんなに苦しくても、

自分が主人公なんだから

それを乗り越えれば、すごいストーリーが待っているというロジック。



本気で自分が主人公だと信じるためには、

日々の小さな物語の積み重ねが大事だと思う。

手に入れたいもの、やりたいことのために、

毎日必死で戦って、手を抜きたい自分と葛藤することが、

いい人生の本を書く秘訣だと信じてます。




いやー、アツくなるとブログが長くなってしまうんですよね(;^_^A

ここまで読んでくれた方どうもです。

理想はもっと頻繁に短いブログを目指します(笑)



一緒に話していたKさんも、憲吾さんも、

年は自分より20歳ほど上なんですが、

リミットがない。

いつまでもやりたいことに貪欲な姿勢は、理想の年の取り方ですね。



明日もう一人、リミットが外れすぎちゃって、

南アメリカを自転車で周ってきた超人空手家に会えるので、

どんな話が聞けるのか楽しみです。