父が 一昨日、1月18日に天国へ旅立ちました。

立派な最期でした。


88歳という 高齢にもかかわらず
ダメージを受けた身体で
2週間も 懸命に 
生きようと 頑張ってくれました。


父は コロナ陽性だったため
面会が出来ずにいました。

電話で、担当の看護師さんから
容態を伺う日々でした。

コロナの隔離期間を終えても
肺炎の影響で、熱が上がったり
下がったりを 繰り返していて

まだ 再感染の恐れも多分にあるとして
昨日まで 面会は叶っていませんでした。

父は、酸素吸入の酸素を
MAXの10リットルに増やしても
酸素を取り込めなくなっていました。  

非常に 危険な状態なので
面会に来て頂いて構いません、と
医師から連絡がありました。

やっと父に会える!!

私と母は 急いで タクシーを拾い
病院へ向かいました。

14日ぶりに会った父は 痩せて
目を閉じたまま 口を開け、
5日に救急搬送された時のような
荒く、苦しそうな呼吸を繰り返していました。

耳元で呼び掛けても 反応はなく
ベッドの傍らの 心電図や、血圧を表示する
モニターで、父の血中酸素飽和度は
常に90を下回っていました。

母が 泣きながら
『頑張ったね。2人で会いに来たよ』と
耳元で声を掛け、
父の頭を しばらく撫でていました。 

すると、酸素飽和度が90 93 91と
少しだけ 90を上回り出しました。

もしかしたら、母と私が来た事を
わかってくれているのかもしれない、と
声を掛けながら 私も父の頭を撫で続けました。

すると、父が頭を少し動かし、
うっすら目を開けて 母の方を見ました。

『今、目を開けたよ!』
と、母と思わず声をあげましたが
父は すぐに 目を閉じてしまいました。

そして今度は、私の方を見て、
少しだけ目を開けてくれましたが
また すぐに目を閉じてしまいました。

その後も 母と私は 泣きながら
声を掛け続けました。

私は、父の頭を撫でながら、
『お父さん、苦しい思いをさせて、
コロナにしてしまって 本当にごめんね。

私たちが会いに来れるまで 
頑張ってくれんだね。ありがとうね。

苦しいよね もう、私たちのために
無理して 頑張らなくて大丈夫だよ。

ありがとうお父さん…大好きだよ。
お父さんの娘に生まれて 幸せだよ。』と
伝えました。 父に届くことを願って…。

そして、
『神様…父が酸素を吸えるようにしてください…』

『もし、父の体が もう酸素を吸う事が無理ならば
どうか、早く 父を苦しみから解放して
あげてください…』と祈りました。

面会時間は、あまり長くは取れず
15分ほどで 看護師さんが
『そろそろ…』と声がけに来ました。

『明日から、毎日 面会に来て頂いて構いません』
と言われたが、父が酸素を取り込めなければ
あの苦しい状況を 父はずっと
耐えなければならない。

父に 毎日会いたいけれど、
父に『また明日ね』とは
とても言えませんでした。

一旦 母と私は 家に帰りました。

私の手には 父の頭を撫でた時の
父のぬくもりや 感触が残っていて

また 会いたい…と思いながら
今も 父は 苦しい思いをしている…と
父の姿を思い出すと
涙が止まらなくなりました。

夕方、再び 私のスマホが鳴りました。
病院名が表示されたスマホを
震える手で取り、電話に出ると、看護師さんから

『先ほど来て頂いたばかりなのですが、
あの後、お父様の脈が弱くなっていって、
今、確認したところ、呼吸が止まっていました』

『今からすぐに、来られますか?』
という 電話でした。

私は 手の震えが止まらないまま
『すぐに伺います!』と伝えました。

夕方で 道が混んでおり、 病院へ到着するのに  
かなり時間が掛かってしまいました。
父はまだ、少し 温かさが残っていました。

最期に、そばにいてあげられなくて
ごめんなさい
一人で旅立たせてしまって ごめんね

本当に 頑張ったね。ありがとう。
苦しかったね。やっと楽になれたね。

今日まで、お父さんが 頑張ってくれたから  
最後に会うことが出来たよ。
今日まで 本当にありがとう

お父さん お疲れ様でした
ゆっくり 休んでね

泣きながら、父に話しかけ 母と2人で、
父の顔や 頭、手を ずっと撫でていました。

手や足は どんどん冷たくなっていきました。

本当に 苦しかったと思います。
私なら 耐えられただろうか?

そう思うほど 苦しい中、
私たちと会うまで、待ってくれていた

そうとしか思えない
会った わずか3時間後の旅立ちでした。

父は 長生きしてしてくれました。
88歳まで、懸命に生きて
私は、いつも そばにいられたのに
親孝行らしい事も 何もしてあげられなかった

父の生き方や、考え方が 理解出来なくて
反発したり、口もきかなかったり
父に 歩み寄ろうとしなかった時期が
長くありました。

ちゃんと 父の立場に立って考えたら
理解出来たことなのに…。

当たり前に そばにいられた時に
もっと 話せば良かった
優しい言葉を もっと掛けてあげれば良かった

父への 感謝や
自分にとって、どれだけ大切な 存在だったか

失って 初めて気付くなんて

本当に どれだけ私は ポンコツなんだろう

どうか 皆さまは
『今』を大切に 生きてほしい

今、伝えたい言葉は、
『今』伝えてあげてください。

今、夢や、やりたい事があって
一歩踏み出すことを
ためらったり、
不安で 後回しにしているなら
『今』、 おりゃあ!!って
踏み出してみてほしい

『今』を大切にしないで
もう、どうにもならない
後悔をしている
私みたいに ならないで下さい

父のように 高齢だったり
病気などではなかったとしても

先日の 能登半島地震のように
ある日 突然
日常が失われたり
大切な人を亡くしたり
自分自身が 命を落とすことだって
あり得るのです

なんか…エラそうに 熱く語ってしまいました💦
不快に思われた方、ごめんなさい🙏

でも、本当に私は 今、その時 その時を
大切にしなかったから
本当に 回収しようのない
後悔を しています。

あの世に行った父に 直接
謝ったり、感謝を伝えたりは
出来ないですから…。

皆さまには、私のような
取り返しのつかない後悔だけは
してほしくないと思います。

昨日は、空がとても綺麗で
父のことを考えながら
空を眺めていたら 涙が止まらなくなりました。

その時、ふと 彩雲を見つけました。

うっすらと光る彩雲でしたが
綺麗だな…と 思った瞬間
泣きながら、笑顔になった自分に
気付きました。

そして 思わず
父が見せてくれた、と感じました。

泣いてばかりいるから
父が 心配してるのかも💦
母のことも 支えなくちゃいけないに

旅立ってからも 父に心配させたら
シャレにならん笑い泣き

しっかりしなくちゃ!と
いつも通り 写真を撮りましたニコニコ

まだ やらなければならない事が
たくさんあるので、少しずつになりますが
ブログも更新していきたいと思っています。
よろしくお願いします☺️💕


父の入院ブログから
たくさんの温かい励ましや、お気遣い
ありがとうございました✨✨

本当に どれだけ救われたかわかりません。

皆さまに 心からの感謝を…💕💕