皆さま お疲れ様ですぽってり苺
るぅく です ニコニコ飛び出すハート

ご訪問いただき ありがとうございます💕
✨✨感謝✨✨です🥰

先日、台湾で大きな地震がありましたね

大きな揺れや、ビルの倒壊シーンを
ニュースなどで見るたび
日本の震災とも重なって 心がしんどくなります

台湾で この度、被災された皆様のご無事と

一日も早く 皆様に日常が戻りますよう
心よりお祈りいたします


それではスタースター 前回の続きになりますが…ニコニコ

父の帰宅は、母と私にとって
とても嬉しいことでした
 
火葬場での 衝撃の確認作業は
トラウマになっていますが…チーン


救急搬送後、生きようと 
懸命に闘っていた父との 面会が出来ず

息を引き取るときも
一人で 旅立たせてしまったから

遺骨となり、たとえ 無言の帰宅であっても
やっとまた 家族が揃った気がして
嬉しかったです照れ


まるで そこにいるかのように
母も私も 話しかけて
遺骨を撫で回し、さわりまくるw爆笑

(遺骨は骨壺に入れられ
さらに桐の箱に入れられ
房の付いた覆い(カバー)が被せられているので、
もちろん、カバーの上からですが)💦

滝汗アンシンシテクダサイ ホネハ サワッテナイデスヨ💦

 

そして 父が無言の帰宅をした翌日から
少しだけ 不思議なことや 
驚くことが 続きました

母は 心臓に持病があり
毎月一回、通院して 診察を受けています


内科医院なので、父も診て頂いていました


父も母も 主治医が同じ先生だったのですが
とても温和で、親身になってくださる先生でした

病気柄、父は 合わない、嫌いと思った人は 
医師であっても 徹底的に拒否するのですが
この先生には 心を許していました


先生には、父のことを
事前に連絡して 伝えていましたが
改めて、これまでお世話になったお礼を伝えると

『年齢から言っても不足はないでしょうが、
あの笑顔が もう見れないのはさみしいですね』
と、言ってくださったそうです


看護師さんや、受付の方たちも 皆さんが
あちこちで 母に声を掛けてくれて

離れたところから 走ってきて
声を掛けてくれた方もいて、そして

まるで打合せでもしたかのように 口を揃えて
笑顔が忘れられません』
と 言ってくださり、母は驚いたそうです


実は、私も あれが元気だった父との
最後の やり取りだったな…と思う出来事で

今でも 鮮明に蘇るのは
父の笑顔でした

それを 母と話していたばかりだったのです


私が 発熱していた、昨年末

朝、まだ38度近い熱があり 
寝ていた私のところへ 父が来て

ティッシュペーパーに包んだ物を
ニコニコしながら 差し出してきました


驚いた私は飛び起き、思わず

『熱があるのに こんなに近くに来て
移ったらどうするの🤬?!』
と怒ってしまいました

すると 母が部屋に入って来て

『それを渡したいだけらしいから』
『受け取ってあげて』と…うーん


父から ティッシュペーパーに包んだ物を
受け取って、広げてみると
一枚の 千円札でした

今の千円札は 野口英世さんですが
父は、その前の 夏目漱石さんの千円札を
なぜか 一枚だけ 大切に持っていたんです


『これ、大切にしてた千円札でしょ?!』
『いいよ。お父さんが持っていなよびっくり💦』

そう言って、父に返そうとしましたが
ニコニコニコニコしたまま、受け取ろうとしません


熱で 頭が回らず、どうしたものか 
もらってしまっていいんだろうか予防💫

と、ぼぉーっと考えていると、母から

『朝から、あなたにあげるんだって
起きてくるの ずっと待ってたのよ』

『だから ありがとうって、受け取ってあげて』 
と言われました


『そうだったんだ…』と思い

『ありがとうニコニコラブラブ』と伝えて
素直に受け取ると

父は、まるで 幼かった頃の私に向けるように

爆笑ニコッ❤️と、優しい 満面の笑顔
うんうん と頷き、
私の部屋を後にしました


私が回復した時には
入れ替わるように 父が体調を崩して
寝込んでいた状態だったので

元気な父と、ちゃんと意思疎通が出来たのは
あの千円札を 受け取った時が最後でした

まるで 父には
それがわかっていたかのように


今でも、あの時の父を思い出すと…ダメですね💦

笑い泣き顔がどしゃ降りで 前が見えないぜ!笑い泣き

状態になりますね💦


父の あの時の笑顔
生涯 忘れることはないと思います

あの千円札も 生涯 使えないですね笑い泣き

ティッシュペーパーも 渡された時のまま
夏目漱石さんの 千円札を包んだ状態で
大切にしまってありますほんわか


その後、父の葬儀は 家族葬だったため
お線香だけでも…と ご近所の方々が
来てくださいました

すると、お向かいの家のご主人が

『僕はねぇ、ご主人の笑顔
忘れられないですよ』 と、
 
父との 笑顔の思い出を 話してくれたのです


父の旅立ちを悼む方々から 次々と語られる
父の 笑顔 のキーワード

その度に 母と私は 驚くばかりでした
 
父は 笑顔の人 
こんなにも たくさんの人から
愛されていたんだ と


父が 統合失調症を発症した時
とにかく 母も私も 必死に隠しました

世間一般、統合失調症という病気は

悪いイメージがつきまとい
差別や 偏見の目で
見られているからです


『人から嫌がられる病気』

『親から、子供へ遺伝する』

だから 特に母は、そういった世間の目から

父と、私のことも守ろうと
必死に 隠してきたのだと思います


だからこそ 父が たくさんの方々に愛され、
『笑顔の人』だったことは

私にとっても、
そして 私以上に 母は 
嬉しかっただろうと思いますおねがい

そして、この『笑顔の人リレー』
苦労を掛けた 母への

父からの 感謝のメッセージ
置き土産なのかもしれません


父からの 小さなメッセージは 
この後も続き…

後日、母が何か 探しものをしていたのですが

急に 『あっ!』と声をあげたのです

『何? どうしたの? あったの?』 
と、びっくりして聞くと

『これ、持って帰って来ちゃった』と
先日行った病院の、番号札を取り出しました


プラスチックの札に
番号が刻まれているのですが

よく見ると、父の誕生日の番号だったのです

(5月5日生まれなら →55番 という意味です)

『長年 通院しているけど、
こんなこと 初めてだわ汗うさぎ
と言いながら、母は気付いていない様子


『番号が、お父さんの誕生日だね』と言うと

『あ! 本当だびっくり なにこれ?』
  
なにこれって…w  🤣

『今日 お父さんも 病院に一緒に行って
先生たちに お礼を伝えてたのかもね』

と 言うと、母が
『ああ、きっとそうだね…』と
番号札を そっと撫でて 涙をこぼしました

そして、父の 納骨をいつにするか
母と話していたのですが

調べてみたところ、正式な決まりはないが
49日の法要の時に 納骨するケースが
多いとのこと

父の49日って いつになるんだろう、と
数えてみると…

父の誕生日だったのですびっくり❗❗

笑顔のリレー の次は

誕生日のゴリ押し って…汗うさぎ💦

父よ… なんでなん? 汗うさぎ💦💦

ただの 偶然でしょ?
と、言われれば それまで なんですがチュー💦


この後も、何年も前の 出来事や
ここ最近の 自分自身の変化や 出来事

全てが 今に繋がっていた?
と、思うことが起きたり

母の様子がおかしくなったり…

この後も 2ヶ月間、ブログを再開
出来なくなるような事が続いたのですガーン


…と また 長くなってしまいました💦💦


また 次のブログに書いていきたいと思います
読んでいただけましたら 嬉しいですラブラブラブラブ
 
よろしくお願いしますくまクッキーくまクッキー飛び出すハート


最後まで 読んでくださり
本当に ありがとうございます🥲
感謝です✨✨