すごい個人的な内容ですが。
知り合いに話したら面白いって言われたので調子にのって公開します(笑)
私が薬学部の大学院に行ってた時の話です。
私、大学は福岡の大学だったんですが、大学院は熊本の大学に行きました。
その熊本の大学は、私の母親の出身校でもあり、母親のたっての希望もあって私はそこに進学しました。
そこで私は人生最大に壮絶な日々を送ることになるのです。
私が大学院に通ったのはまだ20世紀。世紀末と呼ばれる頃でした。
当時はまだアカハラなんてことばはなかったと記憶してます。
セクハラという言葉はあったとしても、パワハラという言葉もあったかどうかは微妙です。
で、私の中ではどう考えてもアカハラ(アカデミックハラスメント)だよ!っていう日々が続いたわけですね。
大学院の直属の上司である助教授が、私にとってはとにかく意地が悪い、意地が悪い。
ちょっとでも自分の気に入らないことがあったらものすごく怒鳴り散らされてました。
修士1年の夏、二人で研究をしておりました。
研究サンプルを検査センターに持って行ったあと、私が実はその時言い出せなかったことをその助教授に告白しました。
そうすると、もう火が付いたように怒り出しました。
「なんでお前はそうなんだ。
いつもそうだ。
なぜその場で堂々と言わない!
お前は幼稚園児か!」
それがもう、今までにないくらいの怒られ方だったので、当時の私は相当ビビりました。
この、「幼稚園児か!」
というフレーズはこいつの口ぐせでした。
私が鼻炎で鼻が詰まっている時なども
「お前は幼稚園児みたいだな(笑)」
とディスられてました(笑)
研究成果を夕方、持って行かないといけなかったんですが、そこでも、
「お前はホント、字が汚いな」
「こういうのを研究をまとめてるとは言わないんだよ!」
「お前は言葉を知らないから教えるのが面倒なんだよな」
「幼稚園児みたいだな!」
とか言われ、ホントにもうこいつのことがキライになっていきました。
そんなきつい大学院生活だったんですが、周りの人間にそのことを相談しても、時代ですかね。
大学院はきつくて当たり前。
みんなそうだから。
2年間我慢すれば卒業出来るんだから耐え忍べ。
そう言われないようにお前が成長しろ。
みたいに言われるだけで、あまり取り合ってはもらえませんでした。
そんな苦悩の大学院生活を送ってたんですが、私も人一倍努力と根性みたいなとこもあり、実験ノートも多数書き、内容はともかくなんとかがんばって学校に行っていました。
で、なんとか修士2年までいったんですが、夏休みで、大学4年生がいない時期でした。
私、その助教授と関わるのがほんとにもう、命がけでいやになったんですね。
で、夏休みで研究室に行っても4年生もいないし、実験もあまりせず、外でサボることが多くなりました。
ある日、研究室に戻ると、そこの研究室の前に所属員の居場所を知らせる「在室」とか「外出」とかをマグネットで移動させるタイプのホワイトボードがあったんですけどね。
そのマグネットが私の名前の上にポンと置かれていて、もはやこいつは存在してないみたいな状態にされてたんですね。
当時その部屋には、私と助教授しか出入りしてませんでした。
やったのは助教授に間違いないと思いました。
やばい。
助教授、相当ご立腹だな、と。
私、多分相当恐れてたんでしょうね。
こいつにまた会ったら殺される、と訳の分からない恐怖観念が生まれました。
次の日の朝、体調が悪いんで休みますと電話しました。
その次の日の朝も休みますと電話したんですが、電話に出た助手に
「休むのは直接助教授に言って!」
と言われてビビりましたね。
もう、恐怖観念ですよ。
ココニイタラコロサレル。
そんな気持ちでいっぱいになった私は脱出を決行します。
追伸
話の流れでものすごく暗い内容になってしまいました。
今現在そんなに思い詰めてることもなく、この当時も思い詰めてはいるものの、何かこの状況を楽しんでる部分も、確かに自分の中に存在しました。
なるべく明るく書いていきたいと考えていますが、もし、気分を悪くしちゃったらゴメンナサイ。
あと、全て実話です(^^)
知り合いに話したら面白いって言われたので調子にのって公開します(笑)
私が薬学部の大学院に行ってた時の話です。
私、大学は福岡の大学だったんですが、大学院は熊本の大学に行きました。
その熊本の大学は、私の母親の出身校でもあり、母親のたっての希望もあって私はそこに進学しました。
そこで私は人生最大に壮絶な日々を送ることになるのです。
思い悩んだ大学院生活
私が大学院に通ったのはまだ20世紀。世紀末と呼ばれる頃でした。
当時はまだアカハラなんてことばはなかったと記憶してます。
セクハラという言葉はあったとしても、パワハラという言葉もあったかどうかは微妙です。
で、私の中ではどう考えてもアカハラ(アカデミックハラスメント)だよ!っていう日々が続いたわけですね。
大学院の直属の上司である助教授が、私にとってはとにかく意地が悪い、意地が悪い。
ちょっとでも自分の気に入らないことがあったらものすごく怒鳴り散らされてました。
修士1年の夏、二人で研究をしておりました。
研究サンプルを検査センターに持って行ったあと、私が実はその時言い出せなかったことをその助教授に告白しました。
そうすると、もう火が付いたように怒り出しました。
「なんでお前はそうなんだ。
いつもそうだ。
なぜその場で堂々と言わない!
お前は幼稚園児か!」
それがもう、今までにないくらいの怒られ方だったので、当時の私は相当ビビりました。
この、「幼稚園児か!」
というフレーズはこいつの口ぐせでした。
私が鼻炎で鼻が詰まっている時なども
「お前は幼稚園児みたいだな(笑)」
とディスられてました(笑)
研究成果を夕方、持って行かないといけなかったんですが、そこでも、
「お前はホント、字が汚いな」
「こういうのを研究をまとめてるとは言わないんだよ!」
「お前は言葉を知らないから教えるのが面倒なんだよな」
「幼稚園児みたいだな!」
とか言われ、ホントにもうこいつのことがキライになっていきました。
そんなきつい大学院生活だったんですが、周りの人間にそのことを相談しても、時代ですかね。
大学院はきつくて当たり前。
みんなそうだから。
2年間我慢すれば卒業出来るんだから耐え忍べ。
そう言われないようにお前が成長しろ。
みたいに言われるだけで、あまり取り合ってはもらえませんでした。
そんな苦悩の大学院生活を送ってたんですが、私も人一倍努力と根性みたいなとこもあり、実験ノートも多数書き、内容はともかくなんとかがんばって学校に行っていました。
がんばってはいたけれど
で、なんとか修士2年までいったんですが、夏休みで、大学4年生がいない時期でした。
私、その助教授と関わるのがほんとにもう、命がけでいやになったんですね。
で、夏休みで研究室に行っても4年生もいないし、実験もあまりせず、外でサボることが多くなりました。
ある日、研究室に戻ると、そこの研究室の前に所属員の居場所を知らせる「在室」とか「外出」とかをマグネットで移動させるタイプのホワイトボードがあったんですけどね。
そのマグネットが私の名前の上にポンと置かれていて、もはやこいつは存在してないみたいな状態にされてたんですね。
当時その部屋には、私と助教授しか出入りしてませんでした。
やったのは助教授に間違いないと思いました。
やばい。
助教授、相当ご立腹だな、と。
私、多分相当恐れてたんでしょうね。
こいつにまた会ったら殺される、と訳の分からない恐怖観念が生まれました。
仮病から、逃亡へ
次の日の朝、体調が悪いんで休みますと電話しました。
その次の日の朝も休みますと電話したんですが、電話に出た助手に
「休むのは直接助教授に言って!」
と言われてビビりましたね。
もう、恐怖観念ですよ。
ココニイタラコロサレル。
そんな気持ちでいっぱいになった私は脱出を決行します。
追伸
話の流れでものすごく暗い内容になってしまいました。
今現在そんなに思い詰めてることもなく、この当時も思い詰めてはいるものの、何かこの状況を楽しんでる部分も、確かに自分の中に存在しました。
なるべく明るく書いていきたいと考えていますが、もし、気分を悪くしちゃったらゴメンナサイ。
あと、全て実話です(^^)
読んでいただいてありがとうございます。
感謝してます!