対岸の彼女/角田 光代


読んだ本:『対岸の彼女』 

著者:角田 光代

出版社:文芸春秋

読んだ日:2010/7/9~7/12

ページ数:288頁


まとめ:

普段、現代の小説はあまり読まない。

ましてや、女性作家の小説は、なぜか敬遠してしまう。

現代の小説だったら、ドラマや映画で代替できると思うし、

女性が書いた小説は、女性特有の爽やかではない心象描写が、どうも受け入れ難い。


というのは、私の偏見だった。

角田光代さんの『対岸の彼女』を読んで、女性作家の現代小説の良さをしみじみと思い知らされた。

文字でしか伝えられない心の“あの感覚”や、女性社会の複雑さ...

女性であるからこそ、現代に生きる人間であるからこそ、深く共感し、感じ入るものがあったのだ。


女性が書いた小説って、いい。

というより、角田光代さんの作品が、いい。


今回、初めて角田光代さんの作品を手にしたのだけれど、

彼女は、人間が持っている「心の暗い部分」を、そのままの“暗さ”で伝えられる作家だと思った。

題材が、現代女性に共通するものだから、共感しやすいというのもあるが、

それを正直に、本当に正直に描いているから、その暗さが、

さも自分の思い出であるかのような自然さで、心と一体化してくるのだ。


私は登場人物である、主婦でも、女社長でも、女子高生でもない。

けれど、横に繋がる一本の線、「女」というジェンダーが、すべてを“自分”にしてくれる。



内気で自分をうまく表現できない主婦の小夜子。

社交的だが、暗い過去を持ち、人間を信じきれない女社長の葵。

強く明るく生きるが、心に深い闇を抱える、葵の高校時代の親友・ナナコ。

そして、それ以外の人たち。


いわば、この物語は、上記の三人の女性と、彼女以外の人たちの二項対立だ。

ずっと仲良くしているにも関わらず、影で平然と悪口をいう“普通”の人々と、

そんな彼らの行動に驚き、人間不信に陥っていく“普通じゃない”三人の女の子たち。

私は、作者の意図よろしく、後者の方に感情移入をした。


そして、分かったことがある。

後者の女の子たちは、


自己否定をしながら、他者否定をして自己肯定をしているのだ。


積極性がない自分が悪い、

仲間に入れない自分が悪い、

協調できない自分が悪い、

と、自分の至らなさを認識しつつも、「私は正解」だと思っている。

まるで、『人間失格』の主人公・葉蔵と同じ。

そうでなければ、生きていけないからかもしれない。


異質な存在で在ることを可能にする勇気がない“普通じゃない”人は、

他者否定による自己肯定をしなければ、前に進めないのだと思う。

そういう意味で、小夜子と昔の葵は、その勇気がなかった。

しかし、ナナコだけは、その勇気を持っていた気がする。


以下、ナナコの言葉...

だってあたしさ、
ぜんぜんこわくないんだ、そんなの。
無視もスカート切りも、
悪口も上履き隠しも、ほんと、
ぜーんぜんこわくないの。
そんなとこにあたしの大切なものはないし。



ナナコにとっての「大切なもの」が彼女の強い勇気を支える柱だったのかもしれない。

ナナコのそんな勇気が、高校生だった葵に伝わり、

大人になった葵の勇気が、小夜子に伝わっていく。


「勇気の連鎖」と言ったら、何だか爽やかだけれど、そんな清々しいものではなくて、

痛くて拙い、精一杯のバトンタッチなのだ。




これは本当の意味での「女」の小説。

生々しい暗さの感触と、不器用な“勇気”を与えてくれる、素晴らしい作品だった。














ありがとうございました。

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