悩む力 (集英社新書 444C)/姜 尚中

読んだ本:『悩む力』
著者:姜 尚中(カン サンジュン)
出版社:集英社
読んだ日:2010/1/16
ページ数:190頁
まとめ:
私が姜 尚中氏を知ったのは、数年前のこと。
「王様のブランチ」という番組で、
姜 尚中氏と、当時、話題になっていたこの本についての特集をやっていた。
そのときの、姜 尚中氏の扱われ方がスゴいことスゴいこと。
まるで韓流スターを紹介するが如く、「偶像化」しまくりの演出。
確か、特集はこのようなナレーションとともに始まった。
“スラリと伸びた長身”
“俳優のような端正な顔立ち”
“落ち着いた美声”
etc...
姜 尚中氏の御姿を未だ登場させないまま、
番組は視聴者の妄想を更に掻き立てていく。
女性A:もうホント、すっごいですよ!姜教授はカッコいいし頭良いし完璧です!
女性B:私大ファンなんです!格好良すぎますよ!!
姜 尚中氏にゾッコンな女性たちを利用し、姜サマの凄さを証言させていく。
そして、いよいよ姜サマ登場!!
な流れになったときに、
C M。
忌々しいコマーシャル・メッセージが、私と姜サマの出会いを遮った。
耐えしのぐこと、約1分間。
遂に、姜サマと初対面の瞬間。
引きで画面に映るスラリと伸びた美しい後ろ姿。
シックなスーツに身を包み、自然溢れる大学のキャンパスに一人佇んでいる。
ゆっくりとカメラは姜サマに近づき、遂に姜サマが振り返る、
ス ロ ー モ ー シ ョ ー ン ー で。
見 え た !
振り返った彼はカメラ目線で、
照れ隠しなのかニヤッと不敵な笑みを浮かて、こちらを見る。
え?
何ですか、これ。
渋 カ ッ コ い い。
もう、ドストライクですわ、
これ。
その後、インタビューに応じる姜サマを、
テレビ画面に穴が空きそうなほど、食い入るように見ていた私は、「変人」です、
認知します。
と、読んだ本の内容を咀嚼しきれなくて、
姜サマに一目惚れしたエピソードでごまかしています。
ごめんなさい。
本題...
「私」とは何か?
「青春」とは何か?
「変わらない愛」はあるのか?
なぜ死んではいけないのか?
何のために働くのか?
などの、
誰もが若いときに考えたことがある“青い”テーマを、
夏目漱石とウェーバーの思想や作品を主軸に語っていく、という内容。
前半は、考えを具体的に論理的に述べたいがため、
言葉が難易で、組み合わせ方も複雑となり、私には理解しずらかった。
良くも悪くも、「ワープロ文」。
例えば...
「彼は文明が人間を一面的に合理化していく状況を主知化の問題としてとらえ、
人間の調和ある総合的な知性の獲得の断念が、主知的合理化の「宿命」であると
考えていました。」
( ?_?)ノ イッテルコトガ ワカリマセン センセイ
ワープロは、疲労なく際限なく文を作れ、言葉を次々と挿入していける。
なので、あっとういう間に長い長い文章が完成する。
思考の速度に合わせ、具体的に考えを表現できるようになったのは良いことだけど、
やはり、どこか寂しさというか冷たさを感じる。
手書きによって表現される文章には、独特の暖かかみと奥行きがある。
大学一年生のとき、「文章表現法」の授業で出された自由課題を、
敢えて、手書きで作成した。
数十枚も手で書き直し、試行錯誤を繰り返し、約一ヶ月間かけて、
たった700字余りの文章を完成させた。
結果、電通のおっさん先生に鳥肌を立たせた。(良い意味で)
もし、私が同じテーマの課題をワープロで作成していたら、
全く違う毛色の作品になっていたと思う。
手で書くということは、文字をj...(略)
話が脱線してすみません。
戻ります。
この本は思想的に、先日読んだ『国家の品格』とリンクする部分が多々あり、
共通性が興味深かった。
例えば、自由論。
両者とも、「自由」に対して、かなり批判的、且つ悲観的である。
藤原氏は以下のような考えから「自由」を否定している。
(一部要約)
---------------------------------------------
誰にも、
人を殴る自由はないし、
道端で立ちショ○をする自由もない。
私には、愛人と夢のような暮らしをする自由もない。
自由なんか、言葉もろとも廃棄して良い。
しかし実際、ほとんどの自由は、廃棄するまでもなく、「規制」されている。
「自由」とは欧米が作り上げた「フィクション」にすぎない。
自由とは、「身勝手」である。
アメリカは「自由」を国是とし、
自由を強調し、資本主義などの「身勝手」を助長させた。
ご都合に合わせる理屈(合理)として、自由は利用されている。
自由は抑制を加えない限り、暴走するものなのだ。
---------------------------------------------
以上が、藤原氏の自由論。
彼の自由論を読んでいると、自由が卑しいものに思えてくる。
しかし、自由とは、そんな側面だけではないハズ。
藤原氏に感化されて、自由の陽の側面がおぼろになってきた...
あと、
大思想家ジョン・ロックの
「個人は快楽を追求してもよい、全能の神が社会に調和をもたらしてくれるから」
という発言にも藤原氏は、「んなわけないだろ、ぼけが。」と
かなり憤慨しているのだけれど、
個人的には、
快楽の指し示すままに自由を追求すれば、もちろん、世界は破綻するけど、
個人が、自分の本質の求める超高次的欲求に従って自由を求めれば、
本当に調和のとれた世界が成り立つと思う。
それは、きっと難しいし、ユートピア過ぎる...?
次に、姜サマの自由論。
「信仰」をテーマに自由について説いているのだけれど、
これが、なかなか面白い。
(一部要約)
---------------------------------------------
「信仰」を意味する“religion” の語源は、
ラテン語の“religio”、「制度化された宗教」というニュアンスがある。
つまり、宗教とは元々、「個人で信じるもの」ではなく、
「個人が属する共同体が信じているもの」だった。
共同体そのものだった宗教は、個人に、
何を信じたら良いのか?
私とは何なのか?
人生とは一体何か?
という、あらゆる疑問に対し、自動的に意味を与えていた。
個人は、疑問に対する飢餓感を感じることなく、
「不自由」の中で、温々と一生を終えることが出来た。
しかし、現在は違う。
「信仰の自由」という魔物により、
我々は疑問の答えを自分で求めねばならなくなった。
それは、かなり辛いことである。
人は本来『自由』から逃げたがる。
自由から逃げて、「絶対的なもの」に属してしまった方が楽だから。
---------------------------------------------
だから、現代人の目には「スピリチュアル」は魅力的なのだ、
と、姜サマは言っている。
図星ではないけれど、
あながち、ハズレでもない。
自由とは、乱暴で、面倒くさくて、不安で、辛いものなのかもしれない。
放任主義の親の下で育った私には、痛切にそう、感じるものがある。
自由の中での自由は至極、退屈だけど、
「不自由」の中での自由は、すごく素晴らしく感じる。
制限されて初めて、豊かになるものがある。
ヴィーガンのときは、肉なしの料理の世界が広がったし、
今、人間として、物理的に制限されることで、いろいろと学べることがある。
禁忌だからこそ、魅力を感じる。
不自由こそが、本当の意味での幸福な自由を齎してくれるなのではないかと思う。
因みに、姜サマは既婚者です。
「やはり結婚して良かったと思っているのです。」
と、さりげなく本の中で、惚気てます。
( ´_ゝ`)ヘェ... デ?
それにしても、姜サマの恋愛論がおもしろい。
ストーカーの行き着くところは「カニバリズム」らしい。
カニバリズムって...
確かに、食べちゃいたいくらい可愛い!とか大好き!とか
形容的には言うこともあるけれど、
本当に食べてしまいたい人はいないと...思う。
自信がない。
人には、自分を食べてほしいという欲求が少なからず、あると思うから。
先日、母に、
「私が死んだら、私を食べてくれますか?」
と訊いたら、
「人間が人間を食べたら、病気になるので食べません。」
と言われた。
ちょっと、母への愛が冷めた瞬間。
「食べる」ことは「愛する」ことと同じだと思う。
相手を「食べる」というのは、究極の愛情表現なのかもしれない。
でも、ちょっと気持ち悪い。
姜サマ、曰く、
エゴイズム的愛の極致は、「相手を消滅させること」。
日本の古典のクラシックなパターンである「心中」や、
先程、述べた「カニバリズム」などが、その典型。
人の心は刻々と移ろうから、
自分が相手を最高に愛している「今」、
若しくは、
相互の愛情が最高に高まっている「今」、
終わらせてしまいたい。
そういう心理が、エゴイストの最高の愛情表現である「相手を消滅させること」、
に繋がっているのではないかと姜サマは推察している。
そういうのは、やはり本当の愛ではないと思う。
ただの自己愛の延長。
だから、私はやっぱり、母には食べられなくても良いと思うのです、
という結論。
御年60歳の姜サマ。
夢は、俳優となり、映画を作り、
ハーレーダビッドソンに乗ること。
最高の渋カッコいい老人ですね。
※追記...(1/17)
---------------------------------------------
自由とは、「人間として生きる上で与えられている全ての権利」だと思う。
生きる権利。
死ぬ権利。
呼吸をする権利。
人を愛する権利。
拒絶する権利。
人を殺す権利。
全ての権利を一括したものが「自由」。
そして、
人間の愚かな部分が欲する自由、
他者の自由を害する自由など、
「倫理上」、「人間の都合上」、良くないとされる自由が、
法や人によって、規制される。
『国家の品格』の藤原氏は、
「『自由』と『平等』は両立できない」
と、言っていた。
人間は愚かだ。
だから、その人間が持つ権利の一部は、規制しなければいけない。
でも、人間は素晴らしい。
だから、その人間が持つ権利の一部は、尊重しなければいけない。
自由って、難しい。
ありがとうございました。

読んだ本:『悩む力』
著者:姜 尚中(カン サンジュン)
出版社:集英社
読んだ日:2010/1/16
ページ数:190頁
まとめ:
私が姜 尚中氏を知ったのは、数年前のこと。
「王様のブランチ」という番組で、
姜 尚中氏と、当時、話題になっていたこの本についての特集をやっていた。
そのときの、姜 尚中氏の扱われ方がスゴいことスゴいこと。
まるで韓流スターを紹介するが如く、「偶像化」しまくりの演出。
確か、特集はこのようなナレーションとともに始まった。
“スラリと伸びた長身”
“俳優のような端正な顔立ち”
“落ち着いた美声”
etc...
姜 尚中氏の御姿を未だ登場させないまま、
番組は視聴者の妄想を更に掻き立てていく。
女性A:もうホント、すっごいですよ!姜教授はカッコいいし頭良いし完璧です!
女性B:私大ファンなんです!格好良すぎますよ!!
姜 尚中氏にゾッコンな女性たちを利用し、姜サマの凄さを証言させていく。
そして、いよいよ姜サマ登場!!
な流れになったときに、
C M。
忌々しいコマーシャル・メッセージが、私と姜サマの出会いを遮った。
耐えしのぐこと、約1分間。
遂に、姜サマと初対面の瞬間。
引きで画面に映るスラリと伸びた美しい後ろ姿。
シックなスーツに身を包み、自然溢れる大学のキャンパスに一人佇んでいる。
ゆっくりとカメラは姜サマに近づき、遂に姜サマが振り返る、
ス ロ ー モ ー シ ョ ー ン ー で。
見 え た !
振り返った彼はカメラ目線で、
照れ隠しなのかニヤッと不敵な笑みを浮かて、こちらを見る。
え?
何ですか、これ。
渋 カ ッ コ い い。
もう、ドストライクですわ、
これ。
その後、インタビューに応じる姜サマを、
テレビ画面に穴が空きそうなほど、食い入るように見ていた私は、「変人」です、
認知します。
と、読んだ本の内容を咀嚼しきれなくて、
姜サマに一目惚れしたエピソードでごまかしています。
ごめんなさい。
本題...
「私」とは何か?
「青春」とは何か?
「変わらない愛」はあるのか?
なぜ死んではいけないのか?
何のために働くのか?
などの、
誰もが若いときに考えたことがある“青い”テーマを、
夏目漱石とウェーバーの思想や作品を主軸に語っていく、という内容。
前半は、考えを具体的に論理的に述べたいがため、
言葉が難易で、組み合わせ方も複雑となり、私には理解しずらかった。
良くも悪くも、「ワープロ文」。
例えば...
「彼は文明が人間を一面的に合理化していく状況を主知化の問題としてとらえ、
人間の調和ある総合的な知性の獲得の断念が、主知的合理化の「宿命」であると
考えていました。」
( ?_?)ノ イッテルコトガ ワカリマセン センセイ
ワープロは、疲労なく際限なく文を作れ、言葉を次々と挿入していける。
なので、あっとういう間に長い長い文章が完成する。
思考の速度に合わせ、具体的に考えを表現できるようになったのは良いことだけど、
やはり、どこか寂しさというか冷たさを感じる。
手書きによって表現される文章には、独特の暖かかみと奥行きがある。
大学一年生のとき、「文章表現法」の授業で出された自由課題を、
敢えて、手書きで作成した。
数十枚も手で書き直し、試行錯誤を繰り返し、約一ヶ月間かけて、
たった700字余りの文章を完成させた。
結果、電通のおっさん先生に鳥肌を立たせた。(良い意味で)
もし、私が同じテーマの課題をワープロで作成していたら、
全く違う毛色の作品になっていたと思う。
手で書くということは、文字をj...(略)
話が脱線してすみません。
戻ります。
この本は思想的に、先日読んだ『国家の品格』とリンクする部分が多々あり、
共通性が興味深かった。
例えば、自由論。
両者とも、「自由」に対して、かなり批判的、且つ悲観的である。
藤原氏は以下のような考えから「自由」を否定している。
(一部要約)
---------------------------------------------
誰にも、
人を殴る自由はないし、
道端で立ちショ○をする自由もない。
私には、愛人と夢のような暮らしをする自由もない。
自由なんか、言葉もろとも廃棄して良い。
しかし実際、ほとんどの自由は、廃棄するまでもなく、「規制」されている。
「自由」とは欧米が作り上げた「フィクション」にすぎない。
自由とは、「身勝手」である。
アメリカは「自由」を国是とし、
自由を強調し、資本主義などの「身勝手」を助長させた。
ご都合に合わせる理屈(合理)として、自由は利用されている。
自由は抑制を加えない限り、暴走するものなのだ。
---------------------------------------------
以上が、藤原氏の自由論。
彼の自由論を読んでいると、自由が卑しいものに思えてくる。
しかし、自由とは、そんな側面だけではないハズ。
藤原氏に感化されて、自由の陽の側面がおぼろになってきた...
あと、
大思想家ジョン・ロックの
「個人は快楽を追求してもよい、全能の神が社会に調和をもたらしてくれるから」
という発言にも藤原氏は、「んなわけないだろ、ぼけが。」と
かなり憤慨しているのだけれど、
個人的には、
快楽の指し示すままに自由を追求すれば、もちろん、世界は破綻するけど、
個人が、自分の本質の求める超高次的欲求に従って自由を求めれば、
本当に調和のとれた世界が成り立つと思う。
それは、きっと難しいし、ユートピア過ぎる...?
次に、姜サマの自由論。
「信仰」をテーマに自由について説いているのだけれど、
これが、なかなか面白い。
(一部要約)
---------------------------------------------
「信仰」を意味する“religion” の語源は、
ラテン語の“religio”、「制度化された宗教」というニュアンスがある。
つまり、宗教とは元々、「個人で信じるもの」ではなく、
「個人が属する共同体が信じているもの」だった。
共同体そのものだった宗教は、個人に、
何を信じたら良いのか?
私とは何なのか?
人生とは一体何か?
という、あらゆる疑問に対し、自動的に意味を与えていた。
個人は、疑問に対する飢餓感を感じることなく、
「不自由」の中で、温々と一生を終えることが出来た。
しかし、現在は違う。
「信仰の自由」という魔物により、
我々は疑問の答えを自分で求めねばならなくなった。
それは、かなり辛いことである。
人は本来『自由』から逃げたがる。
自由から逃げて、「絶対的なもの」に属してしまった方が楽だから。
---------------------------------------------
だから、現代人の目には「スピリチュアル」は魅力的なのだ、
と、姜サマは言っている。
図星ではないけれど、
あながち、ハズレでもない。
自由とは、乱暴で、面倒くさくて、不安で、辛いものなのかもしれない。
放任主義の親の下で育った私には、痛切にそう、感じるものがある。
自由の中での自由は至極、退屈だけど、
「不自由」の中での自由は、すごく素晴らしく感じる。
制限されて初めて、豊かになるものがある。
ヴィーガンのときは、肉なしの料理の世界が広がったし、
今、人間として、物理的に制限されることで、いろいろと学べることがある。
禁忌だからこそ、魅力を感じる。
不自由こそが、本当の意味での幸福な自由を齎してくれるなのではないかと思う。
因みに、姜サマは既婚者です。
「やはり結婚して良かったと思っているのです。」
と、さりげなく本の中で、惚気てます。
( ´_ゝ`)ヘェ... デ?
それにしても、姜サマの恋愛論がおもしろい。
ストーカーの行き着くところは「カニバリズム」らしい。
カニバリズムって...
確かに、食べちゃいたいくらい可愛い!とか大好き!とか
形容的には言うこともあるけれど、
本当に食べてしまいたい人はいないと...思う。
自信がない。
人には、自分を食べてほしいという欲求が少なからず、あると思うから。
先日、母に、
「私が死んだら、私を食べてくれますか?」
と訊いたら、
「人間が人間を食べたら、病気になるので食べません。」
と言われた。
ちょっと、母への愛が冷めた瞬間。
「食べる」ことは「愛する」ことと同じだと思う。
相手を「食べる」というのは、究極の愛情表現なのかもしれない。
でも、ちょっと気持ち悪い。
姜サマ、曰く、
エゴイズム的愛の極致は、「相手を消滅させること」。
日本の古典のクラシックなパターンである「心中」や、
先程、述べた「カニバリズム」などが、その典型。
人の心は刻々と移ろうから、
自分が相手を最高に愛している「今」、
若しくは、
相互の愛情が最高に高まっている「今」、
終わらせてしまいたい。
そういう心理が、エゴイストの最高の愛情表現である「相手を消滅させること」、
に繋がっているのではないかと姜サマは推察している。
そういうのは、やはり本当の愛ではないと思う。
ただの自己愛の延長。
だから、私はやっぱり、母には食べられなくても良いと思うのです、
という結論。
御年60歳の姜サマ。
夢は、俳優となり、映画を作り、
ハーレーダビッドソンに乗ること。
最高の渋カッコいい老人ですね。
※追記...(1/17)
---------------------------------------------
自由とは、「人間として生きる上で与えられている全ての権利」だと思う。
生きる権利。
死ぬ権利。
呼吸をする権利。
人を愛する権利。
拒絶する権利。
人を殺す権利。
全ての権利を一括したものが「自由」。
そして、
人間の愚かな部分が欲する自由、
他者の自由を害する自由など、
「倫理上」、「人間の都合上」、良くないとされる自由が、
法や人によって、規制される。
『国家の品格』の藤原氏は、
「『自由』と『平等』は両立できない」
と、言っていた。
人間は愚かだ。
だから、その人間が持つ権利の一部は、規制しなければいけない。
でも、人間は素晴らしい。
だから、その人間が持つ権利の一部は、尊重しなければいけない。
自由って、難しい。
ありがとうございました。