乳と卵/川上 未映子



読んだ本:『乳と卵』 

著者:川上 未映子

出版社:文芸春秋

読んだ日:2009/12/26

ページ数:138頁


まとめ:

著者の川上未映子さん。

受賞時のビジュアルがとても鮮烈で、

私が見事に一目惚れしてしまった女性作家さん。

キューティクルどうなってるんですか?

と訊きたくなるくらい、異常なほどツヤッツヤのボブヘアーに
(実はカツラだったらしい)

構築的で整った顔立ち。

彼女のファニーフェイスは、本当に魅力的。


作家デビューする前から歌手として活動しており、

弟の学費を稼ぐために、一時期ホステスをしていたらしい。


そんな彼女の文体も、本当に独特。

初めて読んだ彼女の作品『わたくし率 イン 歯ー、または世界』は、

その当時、私がこれまで読んできた本の中で一番、読みにくかった。


改行しない。

句読点を打たない。

話の途中で、論点が飛ぶ。

関西弁。

etc...


例えるなら、鳥居みゆきの喋りをそのまま文章化した感じ。

本当に読みにくい...

のだけれど、読んでいくうちにリズム感が掴めてくると、

その文体が脳に受け入れられてきて、それが「普通」になってくる。

まるで、川上未映子さんの脳と一体化して、ストーリーを体感している気分になる。


川上未映子さん、面白い人だな。

この人、ブログを書いているのだけれど、

そのブログにも、彼女の文才を存分に使っており、

見ていて「もったいない」と感じる。

違う、「もったいない」じゃないな、「贅沢」だ。

才能を溢れさす人は本当に魅力的だと思う、と同時に、なぜか不安になる。


彼女は色んな意味で、「贅沢な人」だと思った。



本題...

第138回芥川賞受賞作。


娘の緑子を連れて、豊胸手術をするために上京してきた姉の巻子。

東京に住む「わたし」は、そんな姉と姪を迎える。


妹である「わたし」の視点と、

娘である「緑子」の視点を交差させて、

巻子を中心(周縁)に物語は進んでいく。


母が女性性の象徴である胸を取り戻すことを厭がる娘、緑子。

母が胸を得ることで、母は、わたしを生んだ前の状態になる。

「わたしを生んだ前の状態になる」ことを望む母を見て、

わたしは必要なかったのかもしれないと悩む緑子。

と同時に、自分の中に潜む「女」を嫌悪し始める。


「女」でなくなることを厭がる母。

「女」になることを厭がる娘。


娘の緑子は、未だ「女」になっていないけれど、

もうすぐ「女」になるであろう美しい娘は、母にとって脅威だったのかもしれない。

そして、娘の緑子は、「母」と「娘」という平和的な関係性が、

「女」と「女」の関係になることで、崩壊してしまうことを恐れていたのだと思う。



「娘」が「女」になるときの母の気持ちはわからない。

そこには潜在的な「女」としての敵対心が存在するのかな。


「母」が「女」になるときの娘の気持ちはわかる。

正直、母は「母」でいてほしいと思うし、「女」の母は見たくない。



自分の体に表出する女性性を嫌悪する緑子、

それは、女性性のない「母」の状態である母を、

自分と同化させて、神聖化させていたからかもしれない。

つまり、わたし(緑子)が「女」になることは、「母」が女性性を得ること。


また、緑子は、母が友人からバカにされたり、

母が叔母の前で愛情表現をしてきたときに

異常なほどの嫌悪感を示す。

その心理に、情けないほどに共感してしまった。

第二者的な視線で見た母は、本当に愛すべき存在だと信じて止まない。

しかし、第三者が介入することで、第三者的な視線で母を見たとき、

なんて愚かな人なのだろうと思う。

愛するが故に盲目になり、第三者の立場で見る二次的事実に目を背けたくなる。



色々なコンプレックスがあるけど、中でも厄介なのは

マザー・コンプレックスだと思う。

色々と派生して精神の奥底にまで影響してしまう。



今回は、圧倒的に娘の緑子の視点で読んだのだけれど、

いつか母になったとき、母の巻子の気持ちがわかるのかな。



『乳と卵』

『ちちとらん』と読むらしい。

読み終わったと同時にわかる、この題名の意味。


女性性を通して描かれる人間性。

きっと、女性と男性とでは、感想がまったく違うと思う。

面白い作品です。







ありがとうございました。