1 はじめに
 不惑 心が乱れたり悩んだりしないこと。

 こんな状態になれたら良いのに、と思って生きてきました。

 論語では40歳(数え年)で不惑です。その年齢に達したのですが、まだまだ不惑には届かないです。しかし若い時と比べたら悩まなくなったので、その考え方の紹介程度で見てもらえたら良いと思います。

2 認識
 認識は人間の考え方の基礎となる部分です。
 その構成要素は経験・協調性・知識などで成り立っています。
 このうち、自分で変えられるものは知識だけです。
 その知識の一部を紹介すると
 ・課題の分離
 ・足るを知る
 ・比較をしない
 などがあります。

 これらの知識は知ってはいたのですが、活用はしていませんでした。そこで自分は協調性を取り外してしまいました。協調をするもしないも自分の意志を優先し始めたのです。その結果、見えてきたものもあります。
 それは「〜〜するべき」という認識が自分に多かった事です。

3 全てを許す
 自分の頭に「〜〜するべき」という事が思い浮かんだ時に「本当に?」と自問自答してみました。
 確かに「〜〜するべき」をした方が効率は良くなります。しかし、その相手の上司も何も言っていないし、そもそもそれを直すのは自分の課題ではないのです。
 そんな自問自答を繰り返していたら、何もかもが許せるようになったのです。

 まずは他人の全てを許す事から始めました。相手がミスをしても、許すための理由を見つけるようにします。
 忙しい、疲れている、育ってきた環境が違う、などなどです。最後の方の理由を使うと許すより諦めるになってはしまいますが。
 その結果として被害が自分にも及ぶようなら対策も考えます。

 次に自分の全てを許す事をしました。
 いつもならミスをした後に、「何でミスしたんだろう」とか自己満足の反省会に時間をかけていたのですが、「疲れてたから仕方がない」とか「人間だからミスはある」とかすぐに理由を作って、次回以降の対策をどうするかに時間を使えるようになりました。

4 罪と罰
 さてこの「全てを許す」という考え方は一つ欠点があります。それは他人の悪意に関しては対応できないという事です。
 幸いにも、自分は使う事が今のところ無いのですが、この反対に「罪と罰」という考え方も持っています。
 「罪」とは自分に心身にダメージを与える行為。その行為によって「罰」を決めます。「罰」は基本的には自分が楽になるようにします。相手と関わらないようにするとか、継続的であれば被害届を出すとか。
 いずれにせよ、この考え方は使わない方が良いですが、保身のための準備のようなものです。

5 不惑への道
 以上の考え方をして不惑への道を歩んでいる最中なのですが、まだ実践期間が短いので、これで良いのかは分かりません。ただ以前よりは楽に自由に生きれていると感じられるようになりました。
 とりあえず今年はこんな考え方をしながら生きてみようかと思っています。


あとがき
 昨年末に書き上げたかったのですが、色々やっているうちに年が変わってしまいました。
 知識の部分は色々と省略してしまいました。気になったら調べてみてください。
 協調性を捨ててしまったのは今でも正解かどうか分かりません。変人になりつつあるという自覚はあります。ただそのおかげで見つかった事もあるので、このまま突っ走りたいと思います。