私は基本的に 

やらなければならないことをせずに やりたいことばかりする

という行為が嫌いだ。

 

権利を得たいならば当然義務や責任は果たさなければならないと思っている。

 

 

権利が先だろうが義務・責任が先だろうが構わないが、権利だけを得ようとする行為が赦しがたいのだ。

 

社会人であるならばそのバランスは一層大切だと思う。

 

誰だってやりたいことだけをやっていたいし、

それに伴う義務や責任からはできることなら逃れたい。

 

でもそれでは社会は回って行かないから

誰かが放棄した果たすべき義務や責任他の誰かが負うことになる。

もしくは 誰かが果たさなかった義務や責任のいで他の誰かが害を被ることだってある。

 

それを考えられないって人としてどうなの???と思う。

 

 

 

 もともと先延ばし癖の末、約束事を破ったりやらなければならないことをやらない息子。

 

幼いころはやりたくないのね、で済ませられる程度でも、中学、高校と成長を追うごとに無責任に映るようになる。

何故自分の利だけ求めて約束したことは反故にするのか。何故できるのにやらないのか。何故?何故?何故?……

とにかく頭の中は常に何故?に埋め尽くされていた。

怒りとかがっかり感とかそんな気持ちに何度もさせられた。

 

やりたいことがあるならば、それに伴って発生するやらなければならないことはやらなければならないし

やらなければならないことがあるのにやりたいことだけをやっていてはいけない

 

どうしてもそれは息子に教えておきたかった。身に着けて欲しかった。

そのためにそのことを言葉でも態度でも示してきた。

 

日常で母として妻として主婦としてやるべきことはやってきた。

その上でやりたいことをする時間を捻出した。

 

ニガテなことでも利を得るためには責任を全うしてきた。

 

息子がお世話になっている幼稚園や学校の行事のお手伝いやPTA活動も末端ながらも引き受けたし

息子が子供会に所属したいと望めば、やがて回って来る役員活動も何とか熟した。

 

息子が受ける権利のために発生する当然の義務。


 

 

それが全く伝わらない。

 

「ニガテなら責任を放棄して、得意な人が請け負えばいい」

 

私が見せてきた背中を、そんな言葉の刃でバッサリ切りつけた。

 

まさに、打ちのめされたという形容がピッタリな心情だった。

 

それでも

やりたいことがあるならば、それに伴って発生するやらなければならないことはやらなければならないし

やらなければならないことがあるのにやりたいことだけをやっていてはいけない

ということを訴え続けたのだが

 

挙げ句に伝わったことは

 

「子育ては義務だからやっているのでしょう?」

 

とんでもない矢が飛んできてモロに突き刺さり再び瀕死の状態に落ち込んだ。

これ、大袈裟な比喩じゃない。

悲しかった。苦しかった。辛かった。深い深い暗闇の中へ突き落された。藻掻いてももがいても浮上できなくなった。

 

所謂カサンドラ状態に陥った、理由のひとつだ。

 

 

もちろん、子どもを産んだのならば義務や責任を持って育てなければならない。

でも子育ては愛がなければできない。義務感や責任感だけでなんかできるわけがない。

間違いなく私は息子を愛していたし、愛を持って育ててきた。

だからこそ生じた義務は果たしてきた。それだけだ。

 

どうしてそんな曲解して受け止めるのか今もって全く理解ができない。

 

 

 

 

 

息子が選んだ人は、私の考えとは全く真逆なタイプ。

 

やらなければならないことは削って削って削って、削ぎ落しまくってでもやりたいことをやる人。

 

家事も。育児も。

 

だから

削ぎ落されて周りに散らばり放題の、嫁がやらない家事を、名もなき家事も含めて私が負っているし

子どもたちは年齢に即した発達を遂げられていない。

 

 

私が頼んだ、自分たちのものを片付けるという行為も《了解》スタンプいっこで先延ばしだ。

そのくせゲームをしたり真夜中のお茶会をしたり昼寝をする時間は存分にある。

片付けに手を付けるのは1週間後の週末で、子どもたちを息子が連れ出す間らしい。

出しっぱなしの冬物を片付けて欲しい。山積している資料を片付けて欲しい。

これ、1週間前にLINEで頼んだのに、未だに動いてなくて再度頼んだら

「これから食事作らないといけないんで~」と言われた。

今までに時間ありましたよね???

そんなに難しいことを言ってますか?理不尽なことを頼んでますか?

子どもたちの昼寝の時間を使ってちょちょっと片づけることも

ゲームの時間を減らして必要な資料と不要な資料を仕分けることもできないんですって。知らんけど。

 

孫が食事をして散らかった食べかすを片付けて欲しいと頼んでいる。

でもいつも孫のイスや床は食べかすだらけ。やってね、と言うとやるけど言わないとそのうちやらなくなる。

不衛生この上ない。

 

姑の指摘を無視できるその根性はなんなのだろう。

 

何より子どもに手や目をかけてあげていないことに腹が立つ。

母親として、保育士として、どういう考えでいるのか。

 

 

 

でも息子がそれを許容しているということは私が見せてきたことの全てを否定したってことだ。

つまり私を否定したことと同意だ。

 

 

そういうことだ。