おさな子というものは

際限ない好奇心を満たしたいものだ。

やめろと抑えつけたところで

やめるわけがない。

 

おさな子というものは

多くの経験をして

多くの刺激を受けて

発達していくものだ。

部屋の中に押し込めていたら

受け取るべきものが受け取れない。

 

おさな子というものは

おひさまの下で遊ぶことによって

夜たっぷり眠るようになる。

生活リズムを作らないと

生きる力が弱くなる。

 

おさな子というものは

話しかけや読み聞かせなどの

コトバのシャワーを浴びて

情緒が育つものだ。

なおざりにしていたら

心が欠けてしまう。

 

おさな子というものは

親の愛を求めるものだ。

心ゆくまでじっくり付き合ってあげないと

心が叫び声をあげてしまう。

 

おさな子というものは

親からの無限の愛を受けて

成長していくものだ。

無限の愛を感じて

安心感を得ることができなければ

自己肯定感の低い子になってしまう。

 

おさな子には

それらを受け取る権利がある。

 

産まれて来てくれただけで

出会えただけで

全霊で愛する値のある存在になる。

 

自論に過ぎないのだけれど

私は、そう思う。

 

どうかどうか

スマホにばかり目を向けるのではなく

おさな子に

目を、手を、かけてあげて欲しい。

 

 

悲鳴のような泣き声が

切なくて切なくて

 

救えない自分がもどかしい。