白雪姫2
魔法使いの自宅へと足を踏み入れた白雪姫は、辺りを見回したい衝動を必死で堪えて、不安と緊張の入り混じった目で家主を見上げた。
一夏の間居候させて貰うのだから、まずは、挨拶をしなければ。
「お世話になります」
魔法使いは軽く頷くと、白雪姫に向かって腕を差し伸べた。
思わずビクリと体を震わせてしまった白雪姫に苦笑めいた笑みを浮かべ、その手から大きなボストンバッグを受け取る。
「他の荷物は先に着いています。まずは部屋へ案内しましょう」
「あ、はい」
白雪姫は先に立って歩き出した魔法使いの後を追った。
──今朝のことだ。
この夏の間、東の魔法使いの家に滞在するようにと、両親に言われたのは。
あまりに突然のことだったので、呆然としてしまった。
何か両親を怒らせるような事をしてしまっただろうかと必死に考えてみたが、わからない。
理由は教えて貰えなかった。
ただ、別れ際に父親であるダグラス王に苦しいほどにきつく抱擁されたのが妙に鮮やかに記憶に残っている。
その隣で冷たい視線をぶつけていたダリア王妃には気付かずに。
「さて──」
案内された部屋に荷物を置き、再び居間へ戻って来ると、魔法使いはおもむろに口を開いた。
白雪姫はソファに身を縮めるようにして小さくなって座っている。
「何故、私のもとへ預けられたのか、その理由は聞いていますか?」
「……いいえ」
首を振った白雪姫を見て、魔法使いは一瞬痛ましいものでも見るような眼をしたが、直ぐに表情を引き締めた。
「そうですか。ご両親は、姫に平民の生活を体験することを望んでおられるようです」
「平民…の?」
平民の生活を学ぶことは国を治めるうえで最も大切だと為の術だと聞いたことがある。
しかし、何故それを今自分が学ばなければならないのだろうか?
そんな疑問をこめた声に、魔法使いは低く答えた。
「姫も今年で10歳になりますね?そろそろ市民の生活や政治を学ばせなければと王はお考えになられたのでしょう」
白雪姫は黙って魔法使いの説明に耳を傾けていた。
確かに、彼の言う通りだ。
「……また、王妃もそのようにお考えになっていらっしゃいました」
「お母さまも…?」
私のことをあまり好いてはいらっしゃらないはずのお母さまが?
白雪姫の心を読んだように頷き、魔法使いは続けた。
「私に頼まれたのもお二人の共通した友人だったからです」
白雪姫は自らの膝の辺りに視線をさ迷わせた。
──そうか。だからなのか……
と、今更ながら納得する。
魔法使いに与えられた部屋は、ノンフェア城の自分の部屋とは比べものにならない小さな部屋ではあったが、必要な家具はちゃんと揃っていた。
ベッドやクローゼットは以前からあったのだろうが、ベッドの脇に置かれたドレッサーは急いで取り寄せた物らしく、他の家具よりも新しい感じがした。
魔法使いなりの心遣いなのだろう。
結局、この日は魔法使いと少し話をしただけで、二人で食事をし、入浴した後、白雪姫は早々に部屋に引き取ってベッドへと潜り込んだ。
木製のドレッサーには、直ぐに使えるようにとボストンバッグから出したブラシや化粧水などが並べられている。
そこに一緒に置かれた古い絵本──は、白雪姫の宝物だった。
幼い頃、何故かこの童話を気に入って、何度も父であるダグラス王にせがんで読んで貰っていたものだ。
その度、王は笑って娘を膝に乗せ、飽きずに何度でも読んでくれたのだった。
今になって、何故そんなことを思い出すのだろう?
枕の下に絵本をしまい込むと、貴女は毛布を首まで引き上げて、じっと暗闇に目を凝らした。
夜が無性に怖いのだ。
「お父さま………ダグラス…」
愛する父親の名を呼び、何だか酷く我が家が恋しくなって、毛布に顔を隠すようにして潜り込んだ時。
ガチャリとドアの開く音が、静かな室内に響いた。
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一夏の間居候させて貰うのだから、まずは、挨拶をしなければ。
「お世話になります」
魔法使いは軽く頷くと、白雪姫に向かって腕を差し伸べた。
思わずビクリと体を震わせてしまった白雪姫に苦笑めいた笑みを浮かべ、その手から大きなボストンバッグを受け取る。
「他の荷物は先に着いています。まずは部屋へ案内しましょう」
「あ、はい」
白雪姫は先に立って歩き出した魔法使いの後を追った。
──今朝のことだ。
この夏の間、東の魔法使いの家に滞在するようにと、両親に言われたのは。
あまりに突然のことだったので、呆然としてしまった。
何か両親を怒らせるような事をしてしまっただろうかと必死に考えてみたが、わからない。
理由は教えて貰えなかった。
ただ、別れ際に父親であるダグラス王に苦しいほどにきつく抱擁されたのが妙に鮮やかに記憶に残っている。
その隣で冷たい視線をぶつけていたダリア王妃には気付かずに。
「さて──」
案内された部屋に荷物を置き、再び居間へ戻って来ると、魔法使いはおもむろに口を開いた。
白雪姫はソファに身を縮めるようにして小さくなって座っている。
「何故、私のもとへ預けられたのか、その理由は聞いていますか?」
「……いいえ」
首を振った白雪姫を見て、魔法使いは一瞬痛ましいものでも見るような眼をしたが、直ぐに表情を引き締めた。
「そうですか。ご両親は、姫に平民の生活を体験することを望んでおられるようです」
「平民…の?」
平民の生活を学ぶことは国を治めるうえで最も大切だと為の術だと聞いたことがある。
しかし、何故それを今自分が学ばなければならないのだろうか?
そんな疑問をこめた声に、魔法使いは低く答えた。
「姫も今年で10歳になりますね?そろそろ市民の生活や政治を学ばせなければと王はお考えになられたのでしょう」
白雪姫は黙って魔法使いの説明に耳を傾けていた。
確かに、彼の言う通りだ。
「……また、王妃もそのようにお考えになっていらっしゃいました」
「お母さまも…?」
私のことをあまり好いてはいらっしゃらないはずのお母さまが?
白雪姫の心を読んだように頷き、魔法使いは続けた。
「私に頼まれたのもお二人の共通した友人だったからです」
白雪姫は自らの膝の辺りに視線をさ迷わせた。
──そうか。だからなのか……
と、今更ながら納得する。
魔法使いに与えられた部屋は、ノンフェア城の自分の部屋とは比べものにならない小さな部屋ではあったが、必要な家具はちゃんと揃っていた。
ベッドやクローゼットは以前からあったのだろうが、ベッドの脇に置かれたドレッサーは急いで取り寄せた物らしく、他の家具よりも新しい感じがした。
魔法使いなりの心遣いなのだろう。
結局、この日は魔法使いと少し話をしただけで、二人で食事をし、入浴した後、白雪姫は早々に部屋に引き取ってベッドへと潜り込んだ。
木製のドレッサーには、直ぐに使えるようにとボストンバッグから出したブラシや化粧水などが並べられている。
そこに一緒に置かれた古い絵本──は、白雪姫の宝物だった。
幼い頃、何故かこの童話を気に入って、何度も父であるダグラス王にせがんで読んで貰っていたものだ。
その度、王は笑って娘を膝に乗せ、飽きずに何度でも読んでくれたのだった。
今になって、何故そんなことを思い出すのだろう?
枕の下に絵本をしまい込むと、貴女は毛布を首まで引き上げて、じっと暗闇に目を凝らした。
夜が無性に怖いのだ。
「お父さま………ダグラス…」
愛する父親の名を呼び、何だか酷く我が家が恋しくなって、毛布に顔を隠すようにして潜り込んだ時。
ガチャリとドアの開く音が、静かな室内に響いた。
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