東京都教育委員会が,入学式や卒業式で教職員が国旗に向かって起立し国歌斉唱するよう通達したのに対して,都立学校の教職員ら401人が都と都教委を相手取り,通達に従う義務がないことの確認や損害賠償を求めた訴訟の判決が,9月21日,東京地方裁判所でありました。
判決によりますと,「通達や都教委の指導は、思想・良心の自由を保障した憲法に違反する」との違憲判断が示され,教職員に起立や国歌斉唱の義務はなく、処分もできないとする判決が言い渡されました。原告側の全面勝訴です!また,判決では慰謝料として1人当たり3万円の賠償が都に命じられました。
一方で小泉首相は,この判決について「法律以前の問題じゃないでしょうかね。人間として、国旗や国歌に敬意を表すというのは(毎日新聞)。」と述べ,疑問を投げかけたということですが,人間としてであっても,やはり国家や国旗の表している意味内容によっては,自動的に敬意を表せるといったものではないでしょう。
判決の趣旨そのものは,国民の「思想,良心の自由」を保障した日本国憲法19条,並びに「表現の自由」を保障した同21条,また,「学問の自由」を保障した23条の趣旨に沿ったものとして全く妥当なものと言えるでしょう。
具体的事件名はよく覚えていませんが,アメリカではかつて,自国民が星条旗を焼き捨てる行為も表現の自由として認めたという事件についてテレビで見たような記憶があります。
ただ,少し気になるのは,一般に日本人ほど,国家,国旗,更には愛国心という問題に関して,言葉は悪いですが無頓着な国民というのも,私が世界の23カ国ほどを旅してきた中で,珍しいのではないかと思えることです。
私の行ってきたどの国の人々も,自分の国を愛し,国家,国旗には敬意を払っています。しかし,日本だけが国旗,国家の是がやたらと政治的に議論の対象になり,国民の間で意見が分かれ,しばしば裁判ざたになっているように思えます。
思想,信条に拘りなく,本当に小泉首相の言うように,人間としての,日本人としてのすべての国民に愛される国家,国旗とはどのようなものであるべきなのか?愛国心というものをどこに求めるべきか(私個人的には,日本の古来からの武道や芸術,音楽,そして四季折々の風物詩,大自然に求めるべきだと考えています。政治的な体制や思想とつながりのあるものには求めません)?こうした問題について政界では超党派で,日本の社会の中でも国民的議論が必要なのではないでしょうか?
判決によりますと,「通達や都教委の指導は、思想・良心の自由を保障した憲法に違反する」との違憲判断が示され,教職員に起立や国歌斉唱の義務はなく、処分もできないとする判決が言い渡されました。原告側の全面勝訴です!また,判決では慰謝料として1人当たり3万円の賠償が都に命じられました。
一方で小泉首相は,この判決について「法律以前の問題じゃないでしょうかね。人間として、国旗や国歌に敬意を表すというのは(毎日新聞)。」と述べ,疑問を投げかけたということですが,人間としてであっても,やはり国家や国旗の表している意味内容によっては,自動的に敬意を表せるといったものではないでしょう。
判決の趣旨そのものは,国民の「思想,良心の自由」を保障した日本国憲法19条,並びに「表現の自由」を保障した同21条,また,「学問の自由」を保障した23条の趣旨に沿ったものとして全く妥当なものと言えるでしょう。
具体的事件名はよく覚えていませんが,アメリカではかつて,自国民が星条旗を焼き捨てる行為も表現の自由として認めたという事件についてテレビで見たような記憶があります。
ただ,少し気になるのは,一般に日本人ほど,国家,国旗,更には愛国心という問題に関して,言葉は悪いですが無頓着な国民というのも,私が世界の23カ国ほどを旅してきた中で,珍しいのではないかと思えることです。
私の行ってきたどの国の人々も,自分の国を愛し,国家,国旗には敬意を払っています。しかし,日本だけが国旗,国家の是がやたらと政治的に議論の対象になり,国民の間で意見が分かれ,しばしば裁判ざたになっているように思えます。
思想,信条に拘りなく,本当に小泉首相の言うように,人間としての,日本人としてのすべての国民に愛される国家,国旗とはどのようなものであるべきなのか?愛国心というものをどこに求めるべきか(私個人的には,日本の古来からの武道や芸術,音楽,そして四季折々の風物詩,大自然に求めるべきだと考えています。政治的な体制や思想とつながりのあるものには求めません)?こうした問題について政界では超党派で,日本の社会の中でも国民的議論が必要なのではないでしょうか?