引き続き,フリーター,ニート問題について考えてみましょう。
今回は,私自身のことになりますが,私は大学卒業後,サラリーマンを2年やりました。毎日とても忙しく,日曜出勤もあったため,ほとんど好きなことに時間をかけて熱中できるような時間はありませんでした。
保養施設があったにもかかわらず,その施設を利用するのに必要な休暇も満足に取れないというたいへんな矛盾がありました。私はそんな中で,もう一度,自由を謳歌し,光り輝く自分を取り戻したくなって,丸2年目勤めた後退社,大陸へ渡ることに決めたのです。
ひょこんとしたことから,当時はやや戦乱ぽい要素のあったイスラエルに渡り,農村(キブツ)に住み込んで農作業や工場で軽作業などをして働きました。初めて円以外の通貨で給料をもらったときは,日本円ではすずめの涙ほどしかないような額でしたが,とても嬉しかったです!「こんなこと,そう多くの日本人が経験できることじゃないぜ!」なんて思って得意になっていました。
英語が喋れないと仕事もできず,命にかかわることでしたので,英語は必死になって話せるようになろうと努力しました。おかげで,8ヵ月後には英語で夢を見るようになり,日本を離れて丸1年が経過するころには,英会話には少し自信もつきました。
そのころ日本では,バブル経済の真っ只中で,「フリーター」という言葉がしだいに社会に定着しつつありました。私は自分もこれだなあと思いましたが,ただ一つ違っていたのは,私は日本でそうした状況にあったのではなく,外国で現地の農村で雇われて働いていることでした。
「俺は外国で働くフリーターということか!でも,それだと英語は身につくし,世界のいろいろなことを知ることができて,苦労も多いけど,サラリーマンやってるよりよっぽど勉強になるなあ。こんな生活って悪くはないな」ってなことを考えていました。
(To be continued)
今回は,私自身のことになりますが,私は大学卒業後,サラリーマンを2年やりました。毎日とても忙しく,日曜出勤もあったため,ほとんど好きなことに時間をかけて熱中できるような時間はありませんでした。
保養施設があったにもかかわらず,その施設を利用するのに必要な休暇も満足に取れないというたいへんな矛盾がありました。私はそんな中で,もう一度,自由を謳歌し,光り輝く自分を取り戻したくなって,丸2年目勤めた後退社,大陸へ渡ることに決めたのです。
ひょこんとしたことから,当時はやや戦乱ぽい要素のあったイスラエルに渡り,農村(キブツ)に住み込んで農作業や工場で軽作業などをして働きました。初めて円以外の通貨で給料をもらったときは,日本円ではすずめの涙ほどしかないような額でしたが,とても嬉しかったです!「こんなこと,そう多くの日本人が経験できることじゃないぜ!」なんて思って得意になっていました。
英語が喋れないと仕事もできず,命にかかわることでしたので,英語は必死になって話せるようになろうと努力しました。おかげで,8ヵ月後には英語で夢を見るようになり,日本を離れて丸1年が経過するころには,英会話には少し自信もつきました。
そのころ日本では,バブル経済の真っ只中で,「フリーター」という言葉がしだいに社会に定着しつつありました。私は自分もこれだなあと思いましたが,ただ一つ違っていたのは,私は日本でそうした状況にあったのではなく,外国で現地の農村で雇われて働いていることでした。
「俺は外国で働くフリーターということか!でも,それだと英語は身につくし,世界のいろいろなことを知ることができて,苦労も多いけど,サラリーマンやってるよりよっぽど勉強になるなあ。こんな生活って悪くはないな」ってなことを考えていました。
(To be continued)