クリスマスの想い出
クリスマスの約一ヶ月前、
教会は、待降節といって、イエスさまの誕生に備える期間に入ります。
遠い昔、私が通った幼稚園では、
待降節に入ると、チャペルの入り口にワラが、
祭壇前方のマリア像の前には、イエスさまのベッドが置かれました。
そして、
「これから、イエスさまがお喜びになるようなことをしたら、
1本ずつワラをベッドに敷きましょうね、
皆さんの温かい心でベッドをふかふかにしてイエス様をお迎えしましょうね」
と先生のお話がありました。
数日後、通園中、市バス内でお年寄りに席を譲った私は、
先生にこれはイエスさまが喜んでくださることかと尋ねに行き、
にっこりと微笑んだ先生が、そうだ、とおっしゃったので、
仲良しさんと一緒に喜び勇んでチェペルに向かいました。
いつもは、クラス礼拝でワイワイガヤガヤと入るチェペルでしたが、
お友だちと2,3人で入ると、
神々しく厳かで、何だかとても特別な場所に感じられ、
自分はイエスさまが喜んでくださることをして
こんな聖なる場所に報告しに来た、ということがとても嬉しかったのを、
今でも、昨日のことのようにはっきりと覚えています。
それが。
私の記憶にある一番古いクリスマスの想い出です。
その後、楽しいクリスマス、つまらないクリスマス、
にぎやかなクリスマス、孤独なクリスマス、
馬鹿騒ぎのクリスマス、いろんなクリスマスを過ごしました。
中には、仕事に忙殺されて、クリスマスのなかった年もありました。
それでも。
私の心の芯にあるのは、気がつけばいつも最初のクリスマスでした。
クリスマスだけではなく、
ふるさとを持たない私にとって、
自分の居場所がわからなくなったとき心の戻るのは、
いつも幼稚園とチェペルでした。
娘にも、そんなふうに
心がいつでも戻れる場所を持って欲しくて選んだキリスト教の幼稚園。
娘の幼稚園では、待降節に入ると、
キャンドルを前に毎晩、親子でお祈りをするよう指導されます。
毎日のお祈りの時間、ふたりで静かに一日を振り返る習慣ができたので、
色々なできごとが娘の中にどんなふうに納まっていくのか、
今までに見えなかった子きてぃの心の動きが見えるようになりました。
これから、娘が生きる長い長い人生で、
自分の居場所がわからなくなったときには、
いつもここに、この空間に戻ってほしいと思いながら過ごした
一ヶ月でした。
アドベントカレンダーも、あとは今日と明日の2日のみ。
オーナメントを毎朝1つずつ、
中身の見えない箱から取り出して貼るのを
子きてぃはとても楽しみにしていたので、
この1ヶ月、朝起こすのが超ラクチンでした![]()
Merry Christmas ![]()