ハムレット in 西宮 | ムル☆まり同盟

ハムレット in 西宮


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 モスクワ・ユーゴザパト劇場 の演出家、ワレリー・ベリャコーヴィチ演出の「ハムレット」を、兵庫県立ピッコロ劇団が兵庫県立芸術文化センターにて上演している。演出家や出演者のアフタートークも聞けるということで、昨日、足を運んだ。


 劇場に一歩足を踏み入れると、モスクワのユーゴザパト劇場で見たのと同じ雰囲気を持つ無機的でシンプルな舞台上のセットが目に飛び込む。国もホールの規模も出演者も異なるのに、何だかなつかしい雰囲気が漂っていて、芝居そのものに対する期待感が高まる。床は、幅の広いグレーとダークグレーのボーダー、その上に柔らかそうな樹脂素材の柱が12,3本天井から吊るされている。これだけのセットで全ての幕の話が展開することになる。ボーダーは宮廷内の床や階段、ある時は森をある時は広場を表現し、ポールは柱や木立、形を変形させて船や部屋などの形を作ったりもした。


 ユーゴザパト劇団の公演は二度だけ観たことがある。「どん底」は、安宿を想定した数台の簡易二段ベッドのみ、また、「巨匠とマルガリータ」は、大鏡のように見える縦長長方形の鉄板(?)が、横一列に何枚か並んでいるのみだった。それらが、場面によって、ドアになりポスターになり窓になり、と色々な物に見立てられる。


 衣装もまた、シンプルだった。多少のバリエーションはあるが、王妃から墓堀まで、ほぼ全員が写真のような衣装をまとっている。

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衣装や音響効果、照明もユーゴザパト劇場のスタッフが担当。


 大道具と衣装がシンプルなだけに、音響や照明が効果的。余分なものをすべて取り払った状態で話が進行するからこそ、登場人物のセリフも、まっすぐに観客の心に届く。


 ということで、モスクワの客席数200程度の小さな芝居小屋、ユーゴザパト劇場の芝居が、日本でも最新の大きな舞台で再現されることになる。不思議なもので、ホールの規模や建物の建築時期がまったく違うのに、舞台上のセットに違和感は感じなかった。



 舞台が始まる。


 ロシア人演出の芝居を日本人が演じたら、どんな感じになるのだろう、やはり、「模倣」になってしまうのではないだろうか。そんな懸念はすぐに払拭される。日本人の役者は、あくまでも彼らの持ち味を活かしながら、ベリャコーヴィチの世界を表現している。 衣装とともにロビーに展示されていた資料によれば、ユーゴザパト劇場の「ハムレット」が、ハムレット役の看板俳優の個性的な演技で高い評価を得たのに対し、2004年、初演時のピッコロ劇団の「ハムレット」は、役者たちの醸し出すハーモニーにより高い評価を得たのだという。


 彼らが話すのは、現代日本語だ。関西弁もコメディ感覚で組み込まれている。それから、感性も現代日本人の感性で、イギリス人やロシア人の感性は伝わってこない。けれども、彼らが演じているのは、間違いなくモスクワで観たことのある世界だった。不思議な、そして見事な融合だった。


 この芝居の宣伝ポスターに書かれているキャッチフレーズ通り、


 「こんなハムレットに会いたかった」


 と思った。




 ところで、つい先日、翻訳をしている友人にある本を紹介された。


 

鈴木 直
輸入学問の功罪―この翻訳わかりますか?

 友人によれば、日本に欧米の文学や哲学、法学や経済学などが輸入され出した当時、その日本語訳には大変硬い表現が使われていた。それは当時、学問というものはごく限られた一部の人たちの物であり、「このような難しい学問を理解するには、このくらいの文章が読めることが大前提だ」という考え方があったからだそうだ。それが、多くの素晴らしい文化や思想の日本での普及を妨げている。これからの文化の輸入、翻訳はそれではいけない。現代人に理解しやすいことばで翻訳し、よいものはできるだけ普及しやすくしなくてはならない、そんなことが書かれているそうだ。


 その話に共感したばかりだったので、現代日本人が現代日本語で演じる今回のハムレットを観て、まさにそれが実践されていると感じた。


 はっきり言って、ハムレットがあれほど多くの内容を含む戯曲だとは思っていなかった。それは恐らく、原作を読んだ当時、恐らく高校生か大学生の頃、古めかしい日本語に活字の詰まったレイアウトの本を、「何かムズカシイもの」を読んでみたい心境の時に読んだからに違いない。読んだ当時の自分は、ハムレットに対して、シェイクスピアに対して、心を開いてはいなかったように思う。


 ハムレットは、イギリス人シェイクスピアがデンマーク王朝を舞台に書いた悲劇だ。けれども、この物語の意味はそれだけではないことを昨日初めて知る。観客を見渡すと、50代以上の方の割合が思ったよりもずっと高かったように思う。その背景にはやはり、日本人の一般的ハムレット像が、「難しいものに相対したくなったときに読む古めかしいことばで書かれた古典」だからではないだろうか。


 それを打ち破ったところが、ベリャコーヴィチのスゴイところなのかもしれない。おそらく、日本だけではなく、他の海外公演でもそれぞれの国の人々にぴったり来るハムレットを演出しているのだろう。


 ロシアのこういう優れた芸術は、世界に向けてどんどん輸出して欲しい、と思った。



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