ドネーション・オフィス -3- nagative vs. positive view | ムル☆まり同盟

ドネーション・オフィス -3- nagative vs. positive view

  ドネーション・オフィスの記事が完結していなかったこと、忘れてたわけじゃないんですけど…。色々忙しかったり、ムルカのことが書きたかったりして、ついつい後回しになっていました。


 というわけで…。


 引っ張ったわりには、なあんだっという話になると思いますが、一応完結編です。で、例によって長いです。(^_^;)


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 海外で暮らした経験がある方は多少なりともお察しいただけると思うが、外国での日本人社会というものはとても狭い。日本人がウヨウヨしているロンドンですら、奥様方の世界は大変狭く、髪の色を変えたことまで一週間のうちに市内の反対側の地域に住んでいる日本人に知れ渡っているとか、いないとか・・・。


 いわんやモスクワである。当時の日本人人口は、大使館領事部に在留届けを出しているだけで、約800人程度と聞いていた。その中で「オクサン業」をしているのが三分の一とすると250人強、四分の一とすると200人程度。そのわずかな人数が、ご主人のお仕事の関係やお子さんの学校、自分の習い事、住んでいるマンション内でのつきあいなど、網の目のように張り巡らされた人脈の中で日々動き回るのだから、その情報伝達スピードには目を見張るものがある。


 たとえば、私が今でも覚えているのは、ある知人が帰国される日本人から調理器具を安価で譲り受けた。私は、このことをご本人から伺う前に、複数の人たちから断片的に情報を得て、彼女が誰からいくらで何を買ったのか本人に聞く前に、ほんの数日の間で詳しく知っていた。別に私がその調理器具に興味があったわけではなく、雑談の端々にそのような些細なことまでも上ってしまうくらい狭い世界なのだ。


 そんな感じなので、モスクワ生活も2年目後半に入った頃には、私がIWCチャリティでボランティアをしている、ということは、すっかり周知の事実となっていた。何かの集まりで初対面の方とお話しする機会があれば、挨拶代わりに話題にされたり、活動に対する興味を打ち明けられたりすることも次第に増える。未就学児童を含め何人もお子さんがいらっしゃるような方までが、ロシアの現状に関心を持ち、何とか忙しい時間の合間にでもできることはないだろうか、と考えていらっしゃるのには、心打たれるものがあった。


 元々、クラブ活動の一環程度の意識で始めたボランティア。最初はさしたる思い入れもなかったが、活動中に出会う素晴らしい同僚やロシア人たちを通して、徐々に思い入れが強くなっていく。また、日本人で活動に興味を持っている忙しい方とお話しするたびに、その人たちよりも自由になる時間が比較的多い私は、もっと何かできるのではないか、と考え直してみる。この子たちのために、この人たちのために、何かできることはないのだろうか。




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 けれども一方で、話が広まるのが速い、ということは、必ずしもいいことばかりではない。


 後から来た人が、今まで誰もしていなかったことを始める、そういうのを好ましく思わない、という傾向が日本人には強い。(日本人以外の場合はよくわからないが。) チャリティを始めた当時、私よりも前からモスクワにいた人の中にも、そういう不快感を直接的間接的に口にする人は何人もいた。曰く、「チャリティってのは、金持ちの道楽だ。何を勘違いして、彼女はあんなことを始めたのだ」「世の中には、こういうことをすると売名行為だと取る人もいる」「ひとりが始めると、他の人も何かしなくてはならないという義務感みたいなものを覚えメイワクだ」、等々。そして、そういうことを口にする人たちは、必ずと言ってよいほど最後にこう付け加える。「私はいいことだと思う。でも、そういう見方をする人もいるってことですよ。」


 その人たちの中には、もしかしたら、ひとりかふたりくらいは、本気で心配してくださった方もいらっしゃったかもしれない。が、大部分は本人こそがそのように考えている、としか思えない人たちだった。自分だってモスクワの現状は知っている、チャリティに協力したいという気持ちも十二分にある、けれども自分はあなたよりも思慮深い、だから何もしていないのだ。(それに比べてあなたは何と軽はずみなことをするのだ。) そう言いたいとしか思えない口ぶりだった。


 そのようなネガティブな忠告を集中的に受けて始めたチャリティ活動だった。日本人以外の人たちとはフランクに意見交換できても、日本人に対しては決して自分からこの話題を持ち出すことはできなかった。意見交換の結果を母国のコミュニティに持ち帰り、様々な活動に結び付けていく他国の友だちをとてもうらやましいと思っていた。また、どんなに親しい人でも、こちらから活動に誘うということも一切しなかった。


 そんな中、彼女に出会った。



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 彼女は私より2年遅れてモスクワにやってきた。前任者の残した「まだ使えるが、自分の家族では必要のない」たくさんの日用品を前に片付けに手を焼いていた彼女に、チャリティ活動の紹介としてではなく、不用品引取りの申し出として、ドネーション・オフィスでボランティアをしていることを話した。


 すると、彼女は目を輝かせてこういった。


 「私、日本にいるときからボランティアに興味があったんです。でも、日本では働いていたので、なかなか時間もきっかけもなくって…。モスクワでもできるんですねぇ。ここにいる間だけでも、ぜひ、そんな活動に参加してみたいです。」


 まっとうな意見だと思った。


 日本にいれば、様々な情報が氾濫し、世界中の困難な状況にある人々の様子がテレビなどを通じて日々伝わってくる。が、現代日本人は概して忙しい。テレビを見て、「ああ、こんなことでも役に立つのね」「へえ、この人、偉いわね」などと心から思ったとしても、よほどのきっかけがなくては実践には移せないものだ。


 それが。


 配偶者の転勤で一時的に外国に移住し、滞在中は仕事を持つことのできない身となったのだ。時間は十分にある。では、ツテがあれば、せめてここにいる間だけでも日頃できなかったことを実行してみたい、と思うのは、ごく普通のことなのではないだろうか。


 何てまっすぐで、ひねくれてないんだろう!


 彼女の出現はとても新鮮だった。最初の「ネガティブな忠告の集中砲火」に屈して、妙に臆病になっていたそれまでの自分を深く反省した。今まで、もっともっと色々な取り組みに関わる機会に恵まれながら、口さがない人たちへの深層心理での恐怖感が、前に進むことを妨げてきた。なんてもったいない2年間を過ごしてきたことだろう!


 こうして彼女の出現が、色々な日本人からチャリティについての質問を受けているうちに、自分なりに温めていた計画を実行する言動力となった。


 その計画とは、当時住んでいた外国人マンションで、IWCチャリティに寄付する不用品を定期回収する仕組みを作ることだった。会社勤めの経験から、何かの仕組みを作って関連部署と交渉し、事務手続きをするのはお手の物、ネックとなっていたのは、協力者がいないことと「ネガティブな見方をする人への恐怖心」だった。それが、同時に解消された格好だった。


 その後はとんとん拍子だった。たまたま他のきっかけからチャリティに興味を持った日本人ボランティアも現れ、スタッフも十分。マンションにはすでに2年間住んでいて、管理事務所の面々とは顔見知りだ。お知らせ掲示の手配や集めた物を引き取りにくださるコーディネータの手配も比較的スムーズにできた。おまけに寄付の品物は思ったよりもすぐに、予想していたよりもずっとたくさん集まるようになった。マンションの住人、特に日本人の多くは、たくさんの不用品を捨てるに捨てられず溜め込んでいたからだ。


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 2年半のチャリティ活動を通して学んだことは多い。その中でも一番強く感じたことは、「人間は支えあって生きている」ということだった。これは「困ったときはお互い様」という意味ではない。また、見返りがあるとか恩返しをしてもらえるとかいう意味でもない。誰かが他の誰かのことを一方的に助ける、ということは決してない、誰かに何かをしてあげていると思っているときは、実はたいていの場合、自分も相手から多くのものを得たりしているのだ、ということだ。


 たとえば、チャリティグループで出会った元スーパーキャリアウーマンのおばさま方。自分の力を十二分に発揮できる場をロシアの人たちに与えられたからこそ、持てる力を発揮し、張り合いを持って活動し、同じ目的を持ち、強く共感し合える同僚にも巡り合え、充実したときを過ごすことができた。それは、チャリティ活動において、ボランティアが一方的に対象者に何かを与えているのではなく、ボランティアも対象者に何かを与えられている、ということだと思う。


 たとえば、ベビーハウスや孤児院で出会った子どもたち。彼らと触れ合うことにより、癒されたり心から笑ったりする機会をもらった。また、一緒に訪問する仲間との楽しい時間を持つ機会も得られた。


 そして、私もそう。モスクワ生活の先輩として、お買い物のお世話からサバイバルロシア語の伝授までした2年後輩の彼女。が、彼女が私に及ぼした影響は、それらを全部ひっくるめてもおつりが来るほどのお返しだったように思う。


 「人は支えあって生きている」とは、日本のこの部屋でパソコンに向かっていると、何だか背筋がムズムズしそうな、照れくさい言葉だ。思わず[Delete]キーに伸びそうになる指をかろうじて押さえる。


 そういう考え方は、母国を離れ治安の悪い国で、外国人どうし協力して肩を寄せ合うようにして暮らす、という特殊な環境だからこそ、素直に実感できたことかもしれない。日本のような豊かで便利な国に戻っても、時々当時の気持ちを思い出しながら、自分の能力を決して過信することなく、謙虚に生きていきたいものだ。


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