11/13
長浜19:20→
岐阜県 関ヶ原19:40/22.3km→養老19:56/32.4km→南濃20:10/43.6km→
三重県 R23 桑名20:38/67.8→
愛知県 R23飛島20:48/77.2km→名古屋20:55/83.5km→蒲郡(食事休憩)21:40/137km/22:10→R1豊橋22:54/160km→
静岡県 R1浜松潮見バイパス(道の駅)23:15/176.5km→掛川道の駅(仮眠)24:16/237.1km/4:10
11/14
掛川→静岡4:30/268km→清水4:50/281km→富士(道の駅)5:07/309km→R139
山梨県 朝霧高原(撮影)6:00/348km/6:10→本栖湖(撮影)6:20/354km/7:03
→鳴沢(道の駅)サイクリング7:20/371km/8:00→富士吉田8:15/384km
→R20大月8:30/403km→
神奈川 藤野9:06/428km→相模湖9:19/428km
東京 大垂水峠9:45/442km→高尾山9:55/446km→八王子10:02/452km
→大和田橋(浅田川)10:12/456km→日野10:17/460km
→府中10:35/468km→調布10:52/477km→新宿11:20/490km
→秋葉原11:52/500km(昼食&買い物)13:00→スカイツリー(押上)13:15/504.1km→
浅草橋→靖国通り→本郷通り→六本木通り→R246→瀬田交差点→
14:25東京インター527.1km→浜松SA17:19/775km→関ヶ原19:17/900km 8250円(高速代)
→長浜19:35/921km
観音寺本堂の右の斜面から上ります。
西国三十三か所の霊場巡りができます。
道は整備されていますが若干急なところもあります
登り切ると平坦な土地が現れます。
ここからが横山城内
城内にはいると 釣り鐘があります
曲輪や竪堀・虎口などの看板があります 頂上には碑と説明書きがありました
横山城は浅井VS織田の姉川の合戦時から使用された戦略的にも重要な山城であり、姉川古戦場から小谷城そして越前と美濃を結ぶ北国脇往還(今の国道365号線)を完全に見渡せる位置にあり、小谷攻めにも重要拠点として使用された。小谷落城後はその役目を終え廃城になった。
(仮面の忍者赤影にも横山城は確か登場しました。・・・・・・・たぶん)
当日はめちゃくちゃ天気がよく 遠くは琵琶湖→長浜城→長浜市内→竹生島→虎御前山→小谷城址→姉川古戦場→伊吹山→米原市内 が遠望できました。
標高311.9mのを示す三角点
佐和山城
近江を京極と六角が分けていた時代から米原から彦根にかけての地域は軍事境界線として多くの峰に城郭が築かれ戦略的にも重要な地域
とな
っていた。特に山頂からは南はは琵琶湖北は朝妻港今浜(長浜)港から山本山・小谷山・太尾山そして伊吹山にいたる湖東湖北を見渡すことができる。
特に畿内と関東東海を結ぶ中山道と山陰北陸にぬける北国街道・そして下街道
(朝鮮人街道)の分岐点として交通の要所として経済的にも政治的のも意味ある場所にある。江戸時代の彦根城の位置づけも同様であったと考えられる。ハ
特に、戦国時代浅井氏と六角氏の佐和山を境にした攻防は激しいものであり、縄張りもその都度補強され堅固なものになったと考えられる。特に姉川の合戦後、前方退却を見事に行った磯野氏が完全に孤立してもなおここを守備できたのはその城のすばらしさを物語る。また、信長がこの城が落ちると小谷城に浅井氏がいるにも関わらず近江の軍事的拠点としてこの城を活用したことから考えてかなり、信長好みの城であったと考えられる。
また、秀吉の重臣石田三成が近江支配の拠点として活用したことからも相当な城郭であったことが考えられる。城自体は後に彦根城にほとんどの遺構が運ばれたため、石垣すら残っていないが、予想以上に巨大な城郭であったと考えられる。
中山道側に面した口で現在の鳥居本にある。大手門跡から土塁跡ハ
彦根城の多聞櫓がめぐっていた法華丸付近ハ
出城的な要素を持ち、南部からの侵攻には前線となる。かなり高い土塁あり
標高233mの山頂にある。
湖北湖東が見渡せる。信長時代から三成時代まで天守があったらしい。
関ヶ原合戦後ろう城戦で女子どもが自刃した場所・3日3晩泣き声がきこえたという
ここには2つしか残されていないが六角氏のしろであったことと信長の近江支配の拠点であったことから石垣は多用されていたと考えられる







































