日本で6番目に作られた北陸線。それについで建設された深谷線はその存在そのものがたった6年間でその役目を終えてしまった。幻の鉄道線です。その存在は今から100年ほど前の話でありながら風化しつつある。現在ではこの跡に道路が作られており、馬車道と呼ばれているがその由来すら忘れ去られている。ここでは明治の発展期に作られ鉄道線について紹介する。

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建設の由来 

明治維新で政治が混乱している中、1969年、新政府は、外国に追いつけ追い越せの意気込みで欧米の高い技術を導入していった。特に、鉄道は近代政策の中心と考えられ、1869年には鉄道建設を決定した。当初の計画では「東京と京都を結ぶ幹線と東京~横浜間の支線、琵琶湖~敦賀間と京都~神戸にいたる線」ときまった。この計画では当時の中心である京都・東京を中心とした交通網の整備と当時外国との貿易港として栄え始めていた横浜・神戸そして日本海側の物資輸送の拠点として敦賀・そして、それを結ぶ鉄道網の整備が急務だと考えたらしい。当時、物資輸送の中心は西回り・東回りの水運であり、かなり、危険を伴った。また、当時の経済の中心としての大阪の役割もまだ捨てるわけにはいかなかったようです。

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