あなたはプリンセス プリンセスというバンドを知っているだろうか。知っていてもおかしくない。かなりのセールスを記録したバンドだからである。今回はそのプリンセス プリンセスの思い出を書いてみよう。



プリンセス プリンセスとの出会いはいつだっただろう。三歳のときのことだと思う。CD屋に置いてあったフリー・ペーパー、『定盤Navi』というもののおかげであった。

(見事にボロボロ)
このフリー・ペーパーは六〇年代から九〇年代までの有名な音楽や映画について書いてあった。それぞれの写真も載っていた上、オール・カラーであったので、字の読めない僕はかなり熱中して眺めた。
その八〇年代のところにプリンセス プリンセスは、あった。
僕は『プリンセス プリンセス』という名前に魅力を感じた。「プリンセス?プリンとは違うのだろうか」と確か思ったりした。そのうち「プリンセス」の意味を知ると、このアーティストがどんな姿なのか知りたくなったものである。
また、名前が「プリンセス」だけでなく「プリンセス プリンセス」というところにも引かれた。二回繰り返すってことは通常のプリンセスよりもすごいのではないかと思い、さらに姿が気になった。僕は上に載せたジャケット写真に描かれた女性を三次元化し美化したような人物を頭に浮かべた。
しかし、音楽を聴くことはなかった。もしかしたら、CD屋で一度くらいはプリンセス プリンセスのCDを探したかもしれないが、買おうと思った記憶がない。プリンセス プリンセスは僕にとって「プリンセス」や「プリン」という言葉を聞くと思い浮かべる(素敵な女性の姿とともに)ものの一つであった。
聴き始めたのはいつだったか。多分五、六歳の頃だ。きっかけは確か誰からかいいと聞いて聴きたくなったような気がする。いや、そうじゃなかった。名前はなんとなく覚えていてふと聴きたくなったのではないか。いや、これも怪しい。要するに覚えていないのだ(バカじゃねーの)。
とにかくその頃聴くようになったのだ。最初に買ってもらったのは『レッツ・ゲット・クレイジー』だった。
このアルバムを買ってもらったのは、Mという曲が入っていたからだ。本当はダイアモンドという母がいいと言っていた曲が入っているアルバムが欲しかったのだが、それはプリンセス プリンセスのCDを買おうと行った場所では見つからなかった。ダイアモンドが収録されていないCDが何枚か並ぶ中で、この中だったら何を買ってもらおうと思っていると、母がこのアルバムを手に取り、「あっM入ってるじゃん。この曲有名なんだよ」と言うので、じゃあこれにしようと買ってもらった。
帰りの車か家でアルバムを流した。一曲目のGet Crazy!が流れた。どう思ったかはハッキリ覚えていないのだが、悪くないなと思った気がする。ハッキリ覚えていることといえば、家に帰ってMを流して、期待を大きく下回ったことか。

僕は今も昔も余りノロい曲というものが好きではないのだ。もちろん好きな曲はあるけれど、好きになる確率は余り高くない。特に一発で気に入ることは稀である。
期待した曲が気に入らなかったので、僕は買ってもらったアルバムを余り聴かなかった。にも関わらず休日にブックオフに連れていってもらうと、プリンセス プリンセスのCDを探した。『レッツ・ゲット・クレイジー』を買ってもらってから少しして、ダイアモンドが入っているアルバムを手に入れた。『シングルス 1987-1992』である。
このCDも買ってもらって車でかけた。一曲目のThe Private Fanfareが流れ出した。

一分を過ぎた頃だろうか。僕は「なかなか唄が始まらないなぁ」と思った。それから少しして「これは唄がないのではないか」と思った。その通りであった。しかも、なかなか終わらない。長い(と書いたのだけど、実際のところは三分五一秒と別に長くはない。退屈な時間は長く感じるものである)。確か途中で僕はこのインストゥルメンタルを飛ばしたような気がする。すると、19 Growing Upが始まった。退屈な気分だったこともあり、力強いイントロはより力強く聞こえた。僕は「おおっ!」となった。

続く世界でいちばん熱い夏、これもよかった。ダイアモンドをまだ聴いていないのにも関わらず、僕はこの『シングルス 1987-1992』がお気に入りのアルバムになりそうだと思った。

ダイアモンドを聴いたのは帰ってから。ビーズのステッカーが貼られたCDとMDが聴けるプレーヤーで聴いた。

とてもよかった。と書いて「とてもよかった」という七文字が非常に薄っぺらく感じた。その感覚は間違っていないと思う。そのために僕は腹が立ってきた。ブログを書くのをやめたくなってきた。やめてしまおうか。こんなもの。大した文章じゃないのだ。このブログを待ってくれている人なんていないだろうし。それは、そうである。なぜなら、まだこのブログを立ち上げて間もないから。だが、何年か続いたとして、待っている人が現れるだろうか。


前向きにいこう。もう少しやってみよう。書きたいときに書いて書きたくないときは書かない。それでも続けていこう。頑張ろう。
ダイアモンドを聴いて僕はとてもいいと感じた。19th Growing Upや世界でいちばん熱い夏もよかったから、その日から音楽を流すときは大抵このCDが流れた。
ある日、僕は同じ幼稚園に通う園児の母親(ジュンちゃんと呼ばれていた)がプリンセス プリンセスが好きだと知って、ほんの少しだけそれについて喋った。少しだけなのになぜ覚えているのか。それはある一つの鮮烈で恥ずかしい思い出があるからだ。それを、書こう。
そうしようと手を動かそうとしたのだが、なかなか気持ちの踏ん切りがつかない。「ナニ、幼児の頃の話だ」と片付けることができる話でもある気がする。しかし、しかしである。いや、ここまで書いたなら書こうじゃないか。
僕は自宅にいた。そこには何人か僕の友達が遊びに来ていた。その友達の母親も一緒に来ていた。その中にジュンちゃんはいた。そのときプリンセス プリンセスのことを喋ったのだ。そして、僕は思いついた。何を?プリンセス プリンセスの唄を歌うことを。
歌ったのはダイアモンドだった。当時彼女たちの音楽で一番好きだった曲で、彼女たちの代表作だ。姿を見られるのは恥ずかしかったので、ジュンちゃんたちがいた部屋の隣のCDとプレーヤーがある部屋で歌った。
歌い終わって部屋に戻ってきた。僕は言った。「似てた?」
あぁ恥ずかしい。似ているわけないだろう。歌の上手い下手は置いといて、僕は男でこの曲を歌っているのは女だ。大きな違いである。その愚かな質問(と行為)にジュンちゃんはなんて返してくれたか。自信を持って書くことはできないのだが、「似てた似てた」って笑いながら返してくれたんじゃなかったか。
それにしても、ダイアモンドを歌っている五分弱の間、誰も僕が歌っている部屋に来なかった。「何やってんの?」って来てもおかしくないのに。不思議だ。だから多分家には複数人来てたのだ。二人だったら急にその人をほっぽり出したりはしないはずだし、したとしても上記の具合に部屋に来るだろう。しかも、僕はジュンちゃんに「似てた?」なんて言ったあと何事もなく来ていた友達と遊び始めたような気がする。これも不思議だ。
不思議といえば(安直な繋げ方)嫌いというわけではなかったが、全く好きではなかったMが、今では結構好きな曲だということ。『レッツ・ゲット・クレイジー』の時期のコンサートの映像を繋ぎ合わせたビデオ・クリップを見ながら聴くと、感動のあまり涙が出そうになる。
(涙のビデオ・クリップ。ファン以外の人やMが好きじゃない人からすると、「どこが?」と思うかもしれない)


これで終わりにしようとしたのだが、Mで終わりにするのはなんだか違うと思ったので、終わりにふさわしいプリンセス プリンセスの曲を貼ろう。
(19 Growing Upはもう貼っちゃったから……)