毎年恒例ですが、今年亡くなった人の紹介が中国新聞で一面をすべて使ってなされました。

 朝の一時、老妻と、その一人一人について、知っている限り思い出話をしました。勿論同世代の人が多く、詳しくはまたということになってしまいましたが。

 

 昼のテレビ『徹子の部屋』でも、追悼番組。すべて面白かったのですが、特に「谷村新司さん」の追憶に感動しました。

 年少の時、太っていて、あまり友達がいなかったこと。そして、部屋にこもって本を読んでいたという話でしたが、そのきっかけが日本語の「漢字」の一字一字が意味を持つということに気付き面白がったという話です。

 

 私は、もう10年以前になりますが、ロシア語通訳者故米原万里さんの文章をこのブログで引用したことがあります。少し長くなりますが、もう一度書かせて下さい。

 ーここより引用ー

 表音文字だけの英語やロシア語のテキスト、あるいは漢字のみの中国語テキストと違って、日本語テキストは基本

的には意味の中心を成す語根に当たる部分が漢字で、意味と意味の関係を表わす部分がかなで表わされるため、

瞬にして文章全体を目で捉えることが可能なのだ。(中略)

 そして、活字にして断言出来るほどの自信満々な確信を持つにいたった。黙読する限り、日本語の方が圧倒的に早

く読める。私の場合、平均七・六倍強の早さで、私の母語が日本語であることを差し引いても、これは大変な差だ。

 子どもの頃から文字習得に費やした時間とエネルギーが、こんな形で報われているとは。世の中の帳尻って、不思議とあうようになっているんですね。いや、これからは収支を黒字に転ずるために、どんどん読まなくては損てことだろう、と意地汚く本を貪る今日この頃である。(文藝春秋版『本の話』1999・3より)

 ーここまで引用ー

 

 そして、「薔薇」や「芒」のこと。そして、極めつきが「群青」であり、私だけではなくみんなの好きな「昴」。涙がこぼれるほど感動しました。

 心よりご冥福をお祈りいたします。

 

 <追記> つまらないことですが、先週の土曜日のBS 5「美しい日本のうた」の最後で歌われた「荒城の月」のテロップが「よわの月」と二度とも訂正されていました。ご報告しておきます。