米寿を迎えて、認知症の気。固有名詞が出てこなくなることが多くなりました。それを補うために、三歳下の老妻を煩わすことがしきりです。

 

 友人は、「君のブログは『老妻』でもっているようなもの」とはっきり言います。

 

 昨日も、ボール箱を整理していたところ、私の書いたもう一冊の本ー『第9学区 福山五校総選 12年の記録』(265頁)が出てきました。発行所や印刷所の名前はまったくありません。ただ、私の「あとがき」だけでした。

 

 今朝のコーヒータイム、老妻にその本の話をし、「ね、『あとがき』に『1991年4月』ってあるだろ。この本は全部私がキャノンのワープロで打ったんですよ。そして、なんて言ったかな、印刷屋の親父に頼んで本にしてもらったんだよね。バブルの最後の頃で、一〇〇冊・三〇万円。あの時の印刷屋の親父さんの名前忘れたな、何といったか。」

 

 老妻が即座に「キシマ印刷さんでしたね。」

 

 驚きました。三〇年前の出来事をこんなに正確にすばやく答えられるなんて。

 

 これからも、この「数独」を毎日繰り返している人に、頼ることになりそうです。

 

 この本を思い出したのは、先日のテレビで、「校長自殺」の画面が出たからです。この本を配るなという退職校長会からの要請で、そのままにしていたのですが、その後、関係各校、あるいは関係者に配ってよいという県教委の許可が出て、広島大学の先生が欲しいと言ってきたり、県教委も10冊寄越せと言ったりして、今もう手元に10冊ほどしか残っていません。「あとがき」の「あとがき」になりましたが。