ネットで「井伏鱒二」を探していると、次のような話にぶつかりました。
ーここより引用ー
言葉と云えば実は井伏さんの「荻窪風土記」読んでいると、いろいろ変った言葉にぶつかるんです。考えて見りゃあ、あっしは昭和、井伏さんは、大正を通り越して、明治の生まれですからね。ムリはないんですけど。ねえ夏子さん、普通「慇懃無礼」って云いますよね。ところが、「風土記」のは全部、慇懃尾籠になってんですよ。〔以下略)
ーここまで引用ー
私は、井伏の「慇懃尾籠」について、すでに見つけていました。「歳末非常警戒」の中の一文でした。
いんぎん尾籠な尋問であった。(井伏鱒二全集第9巻320頁)
また、「慇懃無礼」も当然ありました。「駅前旅館」の中の一文です。
また同じやうに慇懃無禮の手で断わられた。〔井伏鱒二全集第6巻342頁)
でも、「慇懃尾籠」は面白いので、「慇懃尾籠」を「荻窪風土記」から探しました。
お巡りの慇懃尾籠に、我慢して調子を合はせるのは難しい。(『荻窪風土記』「文学青年窶れ」より)
こんな遠まはしの言ひかたを、原田さんたち将棋の高段者は慇懃尾籠と言つてゐるさうだ。(『荻窪風土記』
「阿佐ヶ谷将棋界」より)
もう一つ、こんな話もありました。
ーここから引用ー
ついでに、もう一個のびっくりぽんを、紹介しましょう。あっしは、きょうのきょうまで、井伏鱒二はイブセマスジと思ってたんですが、(まあ、鱒二は釣りキチだから、鱒とやったんだろうとは、思ってました。)苗字の読み方が、イブセでなく、イブシだったんです。ちなみに、鱒二の本名は、満壽二でした。
ーここまで引用ー
先年、福山大学の青木研究室が、井伏鱒二の若いときの絵の発表会を開いたとき、その受付にいた女子学生に、「井伏鱒二の本名を知っていますか」と質問したところ、一枚の絵の前に案内してくれて、示してくれました。
勿論、まだ作家になる前の若い時の絵でしたが、右下に、はっきり白い字で、「I b u s i」とありました。
「こんなことを知っているのはえらいよ」とその女子学生を褒めておきましたが。
今日も、『井伏鱒二全集』の編集者であり、研究の第一人者である前田貞昭先生に、他のことを電話で問い合わせましたが、いつまでも「井伏鱒二」から離れられなくて、老妻に笑われたり、年甲斐もなくと冷やかされています。