『土佐日記』の「日記」の読み方の続きです。私は、「日記」という漢字では、「にき」と振り仮名をして、「にっき」と読めばよいと考えています(「にき」という仮名表記があることが前提ですが)。
古文における振り仮名は当然後世の人がつけたものであり、それは歴史的仮名遣いでついています。「行幸」は「ぎやうがう」あるいは「ぎやうかう」とついています。「ぎょうごう」あるいは「ぎょうこう」ではありません。ということは、この振り仮名は「表記がな」(こんな言い方があるかどうかわかりませんが)なのです。この漢字は仮名で書く(表記する)とこうなりますよということです。この漢字は発音するとこうなりますよという「読みがな」ではないのです。だから、「『日記』は仮名で書くと『にき』となりますよ。そして読むときは『促音無表記』だから、『っ』を入れて読んでください」ということではないでしょうか。「促音無表記」とか「撥音無表記」とかいう言葉は「表記はされていませんが、読むときは促音・撥音を含んで発音していたので、それを補って読んでください」というのが原則でしょう。例えば、「なめり」を「なンめり」と読みなさいというように。この「日記」の場合、「促音無表記」だから、読む場合は「にっき」と読んでくださいということでしょう。とすると、振り仮名を「表記がな」ではなく、「読みがな」と考えるところから混乱が生まれているのかもしれません。
入試問題では「本意」の読みがこれまでに数度出題されました。「『本意』に『読みがな』」をつけよ」という設問ですが、誰も、出題者が「ほんい」という読みを訊くはずがないと思いますから、正解は「ほい」ということで問題はないようですが、この「ほい」をほとんどの辞書が「『ほんい』の撥音無表記」と書いているわけです。では、読みがなは「ほんい」ではないかということになり、答えが二つ予想される「無理題」になってしまいます。「無理題」を避けるには出題しないのが一番でしょうが、その前に、古文の世界で、「振り仮名」、「表記」、「読みがな」そして、「何々無表記」などと言った言葉がもっと厳密に使われることが大切なことだと思っています。